2015年7月24日金曜日

鶴見俊輔さんが亡くなった:追悼文

鶴見さんが亡くなった。

困った時、苦しい時、「鶴見さんならどう考えるのか?」といつも立ち戻った、鶴見さんが亡くなった。

93歳だから天寿を全うされたのだと何度も自分に言い聞かせた。
亡くなる前にも、もう何十回も、「人は永遠には生きられないのだ」とまるで18歳の青年のように繰り返し繰り返し「その日」の覚悟を作ってきた。

しかし、やっぱり悲しくて、切なくて、どうしようもない。

鶴見さん、あなたは僕にとてつもなく沢山のことを教えてくれた。

思想を持つとは立派な考えを持つことではなく、失敗から学び成長し続けることなのだということを教えてくれた。

戦争が始まってアメリカに留まるか帰国するかを迫られた時、「戦争が終わった時、負けた側に居たいとおもった」という「思想を超えた領域」が存在することを教えてくれた。

近代日本で高等教育を受けた者たちが、世界が変わるたびに教科書を取り替えて、その度ごとに一切の思想的葛藤なく優等生になろうとすることを「一番病」と名付けて、「学ぶこと」と「勉強が上手」であることは違うということを教えてくれた。

本当に世界を切り開く優れた知性は、権威的で難解な言葉を使わなくても、15歳にわかる言葉で表現できるものであること、そしてそれを実行することがどれだけ大変なことであるかを教えてくれた。

どんな個人の悪よりも国家のもたらす悪のほうが大きな悪であって、それを防ぐためには国家とは別の尺度でものを考える社会が必要なのだということを教えてくれた。

人間は世界を完全情報のもとで理解することができないのだから、他者の命をなきものにする最終的な根拠を持ち得ないという、シンプルかつ普遍的な原理を教えてくれた。

もっともっとたくさん教わった。とても書ききれないことを教わった。

もう鶴見さんはいない。もう二度と会えない。

でも、鶴見さんは星の数ほどの言葉を残してくれた。

だから、それがある以上、鶴見さんはなくなっていない。

今、なくなったのは、鶴見さんに頼ってばかりいた情けない自分だ。

もう亡くなったがなくなっていないのだから、鶴見さんに寄りかかる自分も終わりにしたい。

でも、それでも、苦しくなったり、わからなくなったり、本当に途方に暮れた時には、少しでいいから、また教えてください。それぐらいいいでしょう?

さようなら。鶴見さん。

そして、弱虫の自分よ、もうあと少しだけ泣いたら、さようなら。