2013年12月20日金曜日

「政治のアマチュア」とは何か? 

 東京都知事が辞任を表明した。あのようなデタラメな言い訳が通るわけもなく、多額の金を不可解なやり方で出し入れし、種々のルールに抵触する可能性があり、かつその説明も不十分である以上、致し方なしというところである。
 しかし、どうにも気になるのは猪瀬氏が記者会見で何度も使った「アマチュア」という言葉である。
「政策にかなり精通していると思っていた。だが、政務についてはアマチュアだった。・・・プロフェッショナルな政治家という意味では失格だが・・・」(記者会見より)
 あらためて考えたいのは、「政治のアマチュア」、「政治のプロフェッショナル」とは何なのかという問題である。

 氏の発言の含意を読み込めば、要するに自分は「ゼニカネの出入りを突っつかれるようなことにならないための上手な金扱いのノウハウに無頓着な政策一辺倒の改革者だった」とでも言いたげである。ここでは、アマチュアとは「汚らしいものを扱うときの注意書きをよく知らなかった未熟者」であり、逆にプロとは「どういうことをすれば、汚い問題をやり過ごすことが出来るかを微に入り細に穿って(びにいりさいにうがって)知りつくした手だれの大人」ということになる。もう少しはっきり言ってしまうと、猪瀬氏は「5000万程度の金で足下を掬われるマヌケ」=アマチュアということになろう。

 大人の世界で生きていれば、嘘も方便として、汚いものを上手に処理する手さばきが必要なことぐらい誰でもわかっている。問題は、それが波紋を呼ぶようなことにならないための周到な工夫を用意したのかどうかだとされる。「世間知」とでも言うべきものかもしれない。

 しかし、我々はこうしたことを前提に、未来の大人達である若い者に「つまりそれがプロの政治家というものなのだ」と、したり顔をして説明すればそれでいいのだろうか?政治は汚い。しかし、大人はそもそも汚いのだ。だから、子供じみた非難や中傷や大騒ぎに巻き込まれないために、上手にやれる大人にならねばならぬ。そしてそういう能力の高い人間を政治家として送り込むのが「成熟した社会」なのだと。そういう説明で「アマチュアかプロか」を次世代に伝えれば、それでいいのか?お前らも早く大人にならねばならぬなのか?
 
 私には、どうにもそうは思えない。違和感が残る。

 ただ、五十面(づら)をぶら下げて、猪瀬氏を道徳的に糾弾するべきだという主張をしたいわけではない。
 政治は、そんなに「汚物処理」のような賤業的人間の営為なのか?それではあまりに切ないではないか?だから、「プロフェッショナル・ポリティシャン(ステーツパーソン)」に付与する、その意味内容をもう少し救われる、もっと真っ当なものを盛り込むための言葉が欲しいということだ。これは言うまでもなく「政治とは何か?」という根源的問題への手がかりである。


「猪瀬は下手を打ったんだよ。ばっかだなぁ。所詮は作家風情だよな」というたちの悪いカタルシスこそ、我々をますます暗くさせる、大人の締め言葉なのだと思うのである。