2011年2月7日月曜日

政治は暗い:それがどうしたというのですか?政治の4Kの1


<軽蔑しながら政治や政治家に丸投げする私たち>
 政治は暗いと思われています。確かに暗いです。ざっと思い浮かんだフレーズを書いてみましょう。「小沢vs仙石!権力をめぐる暗闘」、「守旧派は誰だ?党内主導権をめぐる最終戦争」、「政界下剋上!跡目は俺だ:熾烈なる派閥血戦!」。まるでやくざ映画の副題のようです。もう少し現実的なものを浮かべてみましょう。「どうする財政破たんと消費税増税!」、「金満中国人が日本を買い占め!外国人は排斥せよ!」、「靖国神社の参拝問題で国を売った日本の政治家!」、「少子高齢化と希望格差社会の到来」、「○○知事と宗教団体との癒着の虚実」、「全額支給は夢のまた夢。バラマキ財政はどこへ行く?」・・・「もぉええわ」というぐらい、何やら、政治をめぐる話には、明るく楽しいことなど少しも含まれていないような気になって、「政治の話なんかすると暗くなるから止めようか」と言いたくなります。もっとさ、こう夢があるって言うかさ、未来の展望を感じる話にしましょうよと。
 しかし、こう感じるということの前提には、何かもう決定済みの、それでいて皆さんがあまり明確に意識していない、当たり前と思っている共有認識があるのではないでしょうか?それは、「本当ならば政治は明るい未来を展望してくれるものであるはずだ」という前提です。心の習慣と言ってもよいでしょう。世界は苦悩に覆われていて、人間は困難な現実の中で途方に暮れている。そんな問題だらけの世の中を、政治は明るい将来の夢を語ることで救う道筋を示さなければならないのだという大そうな思い込みです。明るい未来に向かって、今こそ政治の出番なのですと。
 この本は、「大人のための」政治読本です。だから、大人になんてなりたくねぇやと心の底から思っている人は、こんな本を読んではいけません。大人は嘘つきでいい加減で、曖昧で、色々なものに目をつむりますし、全くもって汚れちまった人たちです。そんなものになったら、人生はもう半分以上終わったも同然ですからね。ですから、大人の常識で、このオメデタイ前提を考え直し、大雑把に決め付けていた、耳にはすっと入ってくるけれども、あまり丁寧に考えてこなかった前提を、大人風に翻訳しなおす必要があります。
 政治は未来を明るく照らし出す、人々に夢を与えるべきものであるですって?どうして、何故、如何にすれば、こんな複雑で途方も無く幾重にも折り重なった人間のイカガワシイ欲望が縦横無尽に飛び回る、このどうしようもない世俗世界において、しかもそこに生きる我儘な人間の間で生ずるもの、そこでの様々な問題の解決を委ねられたもの、すなわち「政治」に、そんな特別で夢のような、オールマイティな役割を、当然のように要請できるのでしょうか?「世界が天使のみで構成されているならば、我々に政治は必要ない」と言われます。愛に満ち溢れた世界では、人間は自分のことはどうでもよいと思って他者にひたすら何かを与えることでしょう。しかし、ここは天使ばかりの世の中ではなく、自分の都合ばかり優先してしまいがちな「人間社会」です。ウルフルズも歌っているではありませんか。「♪人のためにできることはあっても、人のために生きることができない♪」って(ウルフルズ『暴れだす』)。
 筆者は、「人のためと思う気持ちは持っているのに、どうしても自分を優先してしまう人間たち」を道徳的に糾弾するつもりはありませんし、土台そんな資格があると思うほど人間として脆弱ではありません。道徳とは人を糾弾したり、人を罰するために存在するのではありません。自分は夜寝る前に「嗚呼、今日もまた自分のことばかりを優先してしまった。また今日も与えられるばかりで、あまり人に与えなかった」とボンヤリ考えながら生きているのですから。そうではなく、私たちは「大人なら」、自分のイカガワシサと駄目さ加減を思い出して、次のように考えるべきではないでしょうか?この程度の人間が集まっているこの社会では、この水準以上のことが突然起こるわけはなく、この程度の我々の水準以上のことを成し遂げるような政治家を生み育てられるはずがないのだから、我々の不幸と不条理と不誠実と不作為の憂さ晴らしを、こともあろうに普段「政治家風情(ふぜい)」などと蔑んでいる人々に対してぶつけようなどという、ミットモナイ真似は止めましょうと。こんなにイカガワシイ私たちのエッセンスを代表しているような人たち(政治家)にどうして「明るい未来を展望させる」などということを何のためらいもなく委ねられるのですかということです。
 「政治家は暗い。もっと市民が希望を持てるような、夢を与えるような存在でないといけない」と、暗い々々日本社会党という、昔存在した切ない政党を批判する際、有名な政治学の先生はよくそう言っていました。周りの兄弟子たちは、フムフムと頷きながら聞いていましたが、筆者はこの先生は意外なことをおっしゃるものだと感じていました。この先生はいつも、「人間は皆不完全な存在なんだなぁ」とおっしゃっていましたから。だから、そんな不完全な人間がどうして安易に希望を与えるようなことを言えるのかと思ったのです。多くの人々は政治家を蔑み、悪口を言い、基本的には政治家を訝しみをもって見ようとしているにもかかわらず、他方平気のへっちゃらで「政治は人々に夢を与える者じゃなきゃね」などと言うのです。もしそんなことを期待するならば、あんなに政治家を馬鹿にしなければよいではないですか?
 ですから、本日を境に、こうしましょう。自分のイカガワシサや何だかんだ諸々上手くいかないことの尻拭いを、政治に求め、期待するのはもう止めましょうと。上手くいかないものをいっぱい集めて袋詰めにしたものをポーンと政治や政治家に投げつけて、「とにかく何とかしろよ!政治(家)だろ?」などと礼を失するようなことをするのは、実のところ極めて子供じみているので、もうおやめなさいと。元々、政治や政治家にはそんな力はないのですからと。

<暗いことはそれほど悪いことなのか>
 そもそも、「暗い」ということはそれほど悪いことなのでしょうか?「ネクラ」という言葉がありますが(元々はおそらく人としての「根が」暗いという意味でしょう。これは筆者が中学生の頃、深夜ラジオで当時まだ無名だったタモリが広めた言葉です)、ネクラであることの意味を皆さんは随分と大雑把に考えているようです。この言葉の奥深さに対する無頓着ぶりは、対概念(対極の意味をもつ概念)を考えればすぐにわかることです。皆さんは「ネクラ」の反対を「ネアカ」だと思っているはずです。「あたし結構ネアカだからぁ」なんて言います。でも、根が暗いと根が明るいの二分法は、人間の真実を全く表現できない言葉のセットです。ネクラの反対の言葉は、断じてネアカ出はありません。この際だからはっきり言っちまいましょう。ネクラの反対は「無知」です。
 人間において「明るい」などという状態は、「思いがけずに出てしまった放屁」のようなものであり、そんなものは誇るべきものでもないし、大そうなものでもないし、こんな当てにならないものに寄りかかって生きてはいけないものです。そんなことはありませんよ。私は常に微笑(ほほえみ)を絶やすことなく生きる明るい人間で、どんなに暗く悲惨なニュースを耳にしても、すぐに気を取り直して、物事を良い方へ良い方へと考え、明るさを失うことなどありませんよ。放屁だなんて失礼なと怒る方がいらっしゃるとすれば、軽く溜息をつきつつ、どうにも我慢できず、慇懃無礼に言ってしまいそうです。貴方は明るくていらっしゃるわけではなく、「無知」でいらっしゃるのですよと。
 世界で起こっていることの大きさ、強さ、途轍も無さ、そして自分の矮小さ、脆弱さ、凡庸さに頭(こうべ)を垂れ、そして精神の深い所で感じる世界と自分とのどうにもならない折り合いのつかなさを肉体で受けとめた時、私たちはそれほど簡単に世界と和解することはできませんし、「前向き」などという言葉で、そんな居心地の悪さを無かったことなんかにできません。世界の不可解さや日常の持つ化け物のようなとらえどころの無さを「自然体の私」などという怠惰な言葉で合理化することもできません。つまり、「世界の真ん中でちっぽけな俺」という、何かを知る、世界を知る、自分を知る旅の一丁目一番地のようなことを知った時、つまり「無知」と「無力」を知った時、無知から離脱する最初の歩みを始めた時、人間は「暗い」という状態以外には成りようがないのではないかと思うわけです。「明るい」などというものが、どれだけ寄る辺なき状態なのか、暗くあるということであえて人格を平衡に保っているということがありうるという、人間の悲しくも脆弱な部分にどうして気が付かないのか。そういうことに気が付かない人のことを子供と言うのだよと考えれば、要するに「暗い」ということは「マトモ」であるということとイコールなのです。
 暗い?ええ、まぁそこそこ暗いですが、それが何か?え?変ですか?ん?貴方は明るい人なんですか?へぇ、変わってますねぇ、すみません、暗くて(普通で)。はぁ、たまにほら、そうそう勢いでプっと出ちゃうでしょう?そうそう、「所嫌わず」ってね。そういう時もありますけど、普段はまぁ暗いですね。すいません、話が面白くなくて・・・。大人とはそういうものです。ですから、そういう暗くてマトモな大人は、やはり決して言ってはいけないのです。「政治(家)は明るい未来の展望を語るべきだ」なんて。どうするんですか?勘違いした無知な政治家が出て来て、オメデタイ、そして荒唐無稽な未来の話(しかも皆さんが払った税金をたくさん使うような)をされて、「大丈夫ですから」なんて言われたら、思わず信じてしまうかもしれないじゃないですか。
 昔、新潟から田中角栄という政治家が出て来て、雪に苦しめられてきた新潟の人々にあの独特のダミ声で、荒唐無稽な夢を語りました。「皆さん!新潟にこんなに雪が降るのは、北風がアルプスにぶつかるからです!だったらいっそのこと、三国峠を工事して削ってしまえば、湿った風はそのまんま南に抜け、新潟には雪が降りません!なぁに、削ってできた土は全部埋め立てに使って、佐渡島と陸続きにしちまえばいいんです!」と。こんな夢のような話をまともに受け止めた人はさすがにいませんでしたが、「角さんなら、そんぐらいのことをするかもしれねぇな」という大変な政治的効果をもたらしました。しかし、そういう田中角栄が新潟に何をもたらしたかと言うと、いくらかの道路と、いくらかの箱モノと、真冬の農民への公共事業を通じたいくらかの現金収入でした。あの時から、新潟県民の県民所得はほとんど増えていません。

<政治は人間のすべての問題を扱う>
 政治は暗いに決まっています。なぜならば、「人間のすべての問題」を扱うからです。私たち薄汚れた人間をとりまく問題は、綺麗なものばかりではありません。「大地震の被害からの復興に苦しむ北海道○○地区に、政府は復興支援と財政支援として、補正予算から20億円を拠出することを閣議決定しました」であるとか、「この度、市民の憩いの広場である○○臨海公園の広場に桜の木を植樹することが市議会において全会一致で決定されました」などというニュースは、私たちの現実からすればむしろ少数派に属するようなものです。政治は「認知症の高齢者が徘徊した先で女性の下着を盗み、公園で通りすがりの若い女性の体を触り、金を払わずに成人映画館に侵入した」事件が今年に入ってすでに10件も起こっている事態を重く受け止め、政府は「厚生労働省を中心に福祉関係者や心理学等を専門とする有識者を集め『高齢者の性問題解決を健全に推し薦めるための立法化特別プロジェクトチーム』を立ち上げるよう指示した」といった、切なくも、大切な問題を扱わねばならず、あまり爽やかな問題ではないからと言って、こうしたことを無かったことにすることはできないのです。
 いくらなんでもそういった問題は、プライヴェートなものだから政府が出て行って同行するべき問題ではないと反論される読者のみなさんもいらっしゃるかもしれません。そして、私的なことは政治とは関係がないと思っているかもしれませんが、私たちの周りには「私的なこと」をめぐって、公的なエリアへと広がる、あまり綺麗ではない問題がたくさんあります。貴方の町や職場や学校でも、「政治的に処理」されるような類の問題はたくさんありますし、今もそれは政治によって処理されています。

<貴方の周りによくある「政治的処理」>
 貴方の会社で、ある日不明瞭な経費処理が行われていることが、何かのきっかけで発覚したとします。経費の中には、係長が先月福岡に出張した時に使った「お土産代」の5万円が含まれていました。5万円のお土産は高額ですから、課長は何でそんなにかかるんだと訝りますが、経費の問題は部長が取り仕切っていますし、本人は営業先のクライアントにいつもお世話になっているという「気持ち」を表すために使ったと開き直ります。クライアントはたくさんいるのに、特定の人物だけに、出張に行く度に高額なお土産を渡し続けるのはやはり不自然です。課長は、これは大事(おおごと)にしなければならないかもしれないと思い始めています。
 しかし、この件は上司の部長の所まで知れ渡ったところで突然「お咎めなし」となってしまいました。実は、この係長は部長に泣きついて、この件を穏便に処理してもらっていたのです。まだ若くて大して仕事ができるわけでもないこの係長にどうしてそんなことができたかと言うと、彼が部長の浮気のアリバイ工作に協力してきたからです。こんなことは公私混同も甚だしいのですが、政治とは(後に詳しく触れますが)「現実の解釈の独占」ですから、この不正出張経費疑惑については、統括する立場の部長が「やや非効率的な経費使用であるし、経費配分も必ずしも適切とは言い難いが、本件に関しては許容範囲である。ただし、経費削減の折、以後はより効率的経費執行が望ましく、経費の適不適については今後は課長に判断を仰ぐように」というお達しを出してしまえば、「そういうことだった」という現実となり、この件は終了です。これは部長が持つ権力、つまり部下たちの「行為を指定する力」のおかげです。部長のここでの「汚いもの処理」は、問題が大きくなって監査レベルに至る前に内々でなされます。政治的処理の典型です。何とも大人が巧妙なのは、自分の頭越しに疑惑がもみ消されたのではないかと、ちょっと面白くない気持ちになっている課長に、経費チェックをする管理責任と権限を与えることで花を持たせ、課長の自尊心を刺激し、かつこれが「これ以上ぎゃあぎゃあ騒ぐんじゃねぇぞ」という無言のメッセージとしてのスパイスが効いていることです。こうなると課長も「ま、そういうことなら、以後私が目を光らせますから」と収まりがつくというものです。係長は首がつながり、部長は事を大きくせずに済み、かつ恩を売って、この係長を利用して今後も愛人と逢瀬を重ねることができ、課長は新たな権限を得て、クライアントは高額なお土産に上機嫌、何かを失う人は一人もいません。こういう不始末の処理は、政治がなすべき重要な仕事です。
 本来ならば、厳密に出張経費を調べ、お土産代として使われたお金が、本当に営業に必要なコストであったかを検証し、それ以前にこのお金を係長が「ポッケ内々(ないない)」しているかどうかを確認する必要もあるでしょう。しかし、この世で起こっていることのすべてを皆公の場にさらして、公明正大に解決すればよいというわけではありません。そんなことをやり始めたら、係長の出張経費のみならず、課長のパワハラまがいの仕事ぶりも、部長のやっている架空発注ギリギリのマネー・ロンダリングも、専務が政治家に持って行く「使途不明金」も、平社員の亜矢さんがやってる「いちおう安全で命に別条はないけど、毎日やっているお茶に変なものを混入させるイヤガラセ」なんかも、全部問題としなければなくなり、それはもう蜂の巣を突っついたような大騒ぎとなります。そして、本業に多大なる影響を与えるようなとんでもないコスト(時間、人々の労苦、重苦しい会議、不愉快な気分)がかかってしまいます。こう言う時は、人間と人生の真実ではなく、全体が破滅しないように処理しなければいけません。
ですから、組織において「町」という名のつくポジションにある人は、人間が集まって、チームで仕事をしている以上、汚い問題も扱わなければなりません。人間のすべての問題を扱うとはそういう意味です。政治が明るく爽やかな、レモンスカッシュの様なものばかりではないのは、当たり前ではないですか。

<夢は自分で掲げるもの>
 自分の職場半径10メートルで起こっている、やっている政治は仕方がないものであって、永田町や霞が関でやっているものには「明るい未来の青写真」を求めるなどという都合のいい要求は、この世の中で現実を生きている大人の言うことだと到底思えません。誤解してはいけません。これは「所詮この世は清濁併せのむ気持ちで生きねばならぬものさ」と開き直って行っているのではありません。「そんなもんでしょ?世の中なんてさ」と言って、俺は世の中をよく知ってるということを強調したいのでもありません。「そんなもんでしょう?」という物言いは、「結局(after all)」という前置きの言葉で導かれる「結論(しかも切ない結論)」ですが、筆者が言っているのは、子供みたいなことを言ってると、物事の本質を見誤るから、(やれやれと思いつつも)「結局さぁ」ではなく、「とにかく前提(はじまり)として(at first)」、悪口言いながら何でもかんでも政治にお任せするのはやめましょうということです。軽蔑の視線を維持したまま「夢見せろよな」と丸投げするなどということをやり続けたら、私たちは私たち自身の水準を上げることもできませんし、ということは巡り巡って、水準の高い政治や政治家などを生みだし育てることなどできやしませんよということを言いたいのです。
 政治は暗いです。それは貴方の大人の人生が御花畑のようなものではないという、至極当たり前のことを別の表現で言い代えただけです。政治は暗いのです。だから何だというのですか?暗くたって、ガッカリするような結果になったって、自分の勝手な期待値に現実の政治が届かなくたって、大人の人生はまだ続くのです。楽しい政治(映画)を期待して映画館まで行って1800円も払って観たのに(ワイドショー見て投票までして、税金まで払っているのに)全然面白くなかったなどというレベルで政治を取り扱うのは、もう戦後66年なんですから、そろそろ止めて大人にならなければなりません。自分のお気に入りの芸能人にどれだけの夢を丸投げしたって、それはかまいません。「よくできた嘘(夢)」を金と交換に売るのが芸能人の気高き仕事ですから、明るく希望を与えてくれるように振舞わねばプロとして失格ですし、もし暗いなら暗いで、暗いことすら独特な「夢」に結びつけなければいけません。しかし、政治は夢を売る商売とは違います。もし「人々に夢を与えたくて政治家になりました」と平気で言う政治家がいたとすれば、それはお坊ちゃんお嬢ちゃんのお遊びの域を出ない学生もどきのナイーヴな政治家か、とんでもないペテン師のいずれかです。
 夢は自分でクリエイトするものです。仲間と勝手に一緒に楽しく掲げるものです。歳老いた父と母、病気になった子供に涙をこらえて語るものです。政治家に御任せるするものでは決してありません。そこから始めるのが大人の政治読本です。

自己紹介:私の略歴

 戦後17年、賢明にもジャックとニキータが核発射ボタンを押すことを思いとどまった年に、何も知らずに東京郊外のマンモス団地に生まれる。当時は庶民の垂涎の的だった近代的な2DKから一歩外へ出ると牧場に牛がいるというハイブリッドな原風景を擦り込まれる。大阪万博に行けなかった心の傷も癒えた小学3年生の冬、突然授業が中止となり、朝から下校時までひたすら「浅間山荘生中継」を教室の白黒テレビで観させられる。先生曰く「何のことかわからなくてもいいから観なさい」。
 「春闘の終焉」と言われた頃、リヴァプール出身の育ちの悪い四人組の歌に「やられて」しまい、その後転居先の湘南地方の公立高校入学に失敗する。700年前は日本の首都だった保守的な街のお寺の隣にある高校に入り、偶然『いとしのエリー』の作者の後輩となる。青春はひたすら暗く、かつそれをすべて人のせいにしていた。「優しい」若者が、"Boat House"(舟小屋)と胸にプリントされた一着36000円のスウェット・シャツを原宿で買い漁るという愚行が繰り返された、空しいあの80年代が始まった年に、池袋にある蔦の絡まる大学に入学する。優秀なスタッフに乗せられて政治学を学ぶが、自分はただの「美味しい所盗り」であることに気づき、ゴルバチョフが登場しプラザ合意のあった年に、高田馬場にある、学生数の多いことで有名な大学の大学院に入院し、長期治療を受け症状を悪化させる。
 実家にくだらない健康器具が増えだした80年代末から90年代初頭、全国有価証券大博打大会に興ずるお金などあるはずもなく、留学生寮の寮長をしながら、ひたすら横文字を縦に直し、洋書屋に借金をし、当時政治犯のいた国で開かれる五輪に異議を唱えながら安酒で憂さを晴らす。旧電電公社の株価が原価を割り込んだ頃、お情けで母校の助手にしてもらい中学7年生のオシメの取り換え助手を週に5コマもやらされ、へとへとになる。任期満了退職後、文部省の外郭団体の特別研究員となる。
 ただの学徒にもどった世紀末数年は、近所の子供に「どうしてあのひとは昼間家にいるのか」と訝(いぶか)られつつ、あちらこちらの大学で講義をしながら浮草(いき)る。浦和レッズがJ2に降格した年、ある学生に「先生は理屈っぽすぎる」と叱られ、とてつもないことがこの世の中に起こっていることを知る。20世紀最後の年に僥倖に遭遇し、神田神保町にある大学で仕事をすることを許される。現在、市井の人々・学生・同僚の皆さんとともに、とてつもないことが淡々と毎日起こっている21世紀をなんとか生きのびようと考えている。