2011年3月24日木曜日

こんな時だから番外投稿:東電は出てこないけど東電の話。




<疾しき沈黙:300万人が亡くなった理由と日本のエリート>

  2年ほど前の8月にNHKで『日本海軍400時間の証言』という特別番組が三回連続で放映されました。300万人もの人々を死なせてしまった、あの戦争の指導層であった旧海軍のエリートたちが、1980年から密かに集まり、「海軍反省会」という会合を10年以上も続けていたことが明らかになりました。しかも、そこでのやり取りがテープ数百本に記録されていて、最近それが公開され、NHKがそれをこの放送で特集番組にまとめたものです。
 問題は、いくつもの範囲に及んでいましたが、最も本質的な問題、最も重要な問題は、放送で表現された「やましき沈黙」というものです。「これはいかん」とか、「どうにもこれは誤った決定だ」とか、はたまた「こんな馬鹿げたことをやっていては大変なことになる」とまで思っているにもかかわらず、何も言わずにだまって推移に身を任せることを指します。「こんなことを見過ごしている自分に、勇気の無い自分にやましい気持ちを感じながら、それでも『それはおかしいのではないのか』と言うことができず、黙り続けるということです。
 こういう「まいったなぁ、でも今更俺一人が流れに逆らうようなこと言えないし」という気持ちになったり、そうした立場に思いがけずになってしまうことはあります。本当は、毎回焼肉屋で吞み会やってるけど、課長が気に入ってるし、皆も本当は「焼肉ばっかだとちょっとキツイなぁ」と思っているかもしれないけれど、ここで俺が悪者になって「たまにはすっきり系で行きませんか?」なんて言えねぇよ。黙って流れに身を任せるか。あの男(課長)すぐ拗ねるからなぁ・・・。こんな話なら、「子供が熱出しまして、女房も勤めてるもんですから帰ります」で終わりですね。年に20回くらいあります。
しかし、ここでの疾しき沈黙は、そんな馬鹿げた日常とは全く比較にならない、とんでもない結果をもたらしました。もうあと少しで、昭和天皇の使った有名な表現で言うと「民族の滅亡」に至るような大きな失敗です。破滅的な戦争の結果、とてつもない数の同胞の死と人生の崩壊、国土の荒廃に至る結果を生み出してしまいました。
このことに関しては、どうしてもきちんとしておかなければならない一つの事情がありました。それは、こうした沈黙をした人々が皆「とてつもないエリートたち」だったことです。

<優秀だったはずのエリート>
 あの無謀な戦争が決断される直前に、日本のエリートたちはただただ精神論だけで、言わば感情だけであのような重大な決断をしていたのでしょうか?そんなことはありません。優秀な日本のエリート軍人、政治家、官僚は、総じて言えばアメリカの戦争遂行に必要な国力・生産力はどんなに低く見積もっていても、日本の10倍以上であること、とりわけ石油の生産量の比較をした場合には「日本を1としてアメリカは700」という単純な現実をわかっていました。日本は、開戦の約一年前に、資源を求めて南部仏印(現在のベトナム)へ軍隊を出した結果、アメリカの怒りをかって、資産凍結と石油・屑鉄の輸出を止められてしまいました。このことは日本のエリートたちに大変な衝撃を与えましたから、石油も鉄も生産できない島国がアメリカと対等に戦争できるはずはないと、冷静に理解していたのです。中でもイギリス海軍を手本として発展してきた海軍は、欧米流の合理主義を基本にしていましたし、海軍のエリート層は多くの人々がアメリカやイギリスに留学していましたから、アメリカやイギリスの国力の持つ力を知らないわけがありません。司馬遼太郎の『坂の上の雲』を読むと、明治時代の海軍のエリートたちがどれだけ合理的にものを考え、どれだけ冷静な現状認識を持って、ぎりぎりの努力で後発型近代国家である弱小国家でもある日本の運命を考えていたかがよくわかります。
海軍のエリートとはそういう人でしたから、昭和の海軍軍人は、それほどの知的伝統を持った明治の軍人の後輩でありながら、そしてアメリカとの戦争などということがどれだけ無謀なことなのかを良くわかったまま「勝てっこないとわかっていた戦争」に突入することにしたのです。全くもって「謎」に満ちた出来事です。20世紀の戦争が兵士たちだけの間で行われるものではなく、軍服を着ていない一般人ですら「銃後の兵士」と考えて行う「総動員戦争」なのだということも、二十数年前に勃発した第一次世界大戦の経験によって、世界のエリートの間ではすでにもう明らかになっていましたから、戦争をするという決断がどれだけ多くの人間の人生と生活と運命を狂わせるかということも、賢明なエリートたちにわからないわけがありません。

<とてつもないほどのエリートたち>
 そもそも、軍のエリートがどれだけ「エリート」だったのかといえば、それはもう大変な人達だったのです。海軍のエリートになるためには海軍兵学校、略して「海兵」(筆者の父親は、生まれた年がやや遅く、このエリートになり損ねた世代なので、今でも憧れの表情で「カイヘェ」と言います)に入学しなければなりませんが、ここに入るためには「帝大(東京帝国大学)」に入るより難しい試験をパスしなけれがならなかったそうです。女学生は皆海兵の制服姿の凛々しい男子に憧れを持っていたそうです。もちろん陸軍も陸軍士官学校(「陸士」(リクシ))というエリート養成学校を持っており、いずれも選りすぐりの若者を輩出していました。「リクシカイヘイ」とよくセットで言われます。
 今の人たちが誤解しそうなので注意を喚起するならば、こうしたエリート層を今の大学進学率のようなものを基準に考えてはいけません。今日、義務教育を終えて高校に行き、またその上の学校に進学する人は、大体同世代の半分です。つまり、高校を卒業した後も約半分の人々がなおも学校に行きます。しかし、海兵や陸士に多くの男子が憧れた戦前には、そもそも旧制中学(今の高校ぐらいの位置づけ)に行く人は同世代の一割ぐらい、旧制高等学校(今の大学12年ぐらいの位置づけ)に行く人となれば、もう同世代の1%ぐらいなわけです。戦前の日本では、同じ年に生まれた日本中の同級生のうちの90%は、普通は尋常小学校を出れば、丁稚となって働きに出るか、もう二年だけ高等小学校という「おまけ」みたいな学校に行って、そこを終われば後はもうひたすら働きづめの人生が待っていました。ですから、旧制の中学・高等学校を出て、それくらいまで「選ばれた」人々の間でも、そうそう合格できない、勉強もピカイチでかつ頑健なる肉体をも備えていなければならない、本当に一握りの者だけが行けたエリート学校が「陸士・海兵」だったのです。圧倒的なエリートです。
 あの戦争の決断・実行・指導を担当したのは、そうしたエリート達の中でも卒業順位がシングルナンバーで(海軍では「ハンモックナンバー」と呼びます)、その先にまた超難関と言われた海軍大学校の卒業席次もにおいても優秀とされた、大人の世界での立ち回りの上手な出世頭ばかりが集まる「軍令部」に所属する参謀たちでした。同じ立場は陸軍では「参謀本部」と呼ばれますが、ここで働く参謀たちこそが、あの戦争の指導における実質的な頭脳だったのです。つまりあの戦争は、少なくとも海軍に関しては「アホな軍人たちの暴走によって起こったこと」というよりも、「あんなに優秀とされた人達があれほど集まっていたにもかかわらず、だれも止めることができなかったこと」なのです。後に詳しく述べるように、ここには「学校秀才が必ずしも賢明(wise)であるわけではない」というひとつの典型的な真実があります。
 生き残り、かつ指導者として決断や決定をする立場にあった者が、このように優秀な海軍のエリートの中枢部で起こったことや、なされた議論、対立、判断、封印された問題などをできる限り思い返して、なぜあんなことになったのかを検証し、記録して、後世に伝えるべきであるという、真に賢明な判断により行われたのが、100回を超える海軍反省会の趣旨でした(ただし、この会が行われている最中は、公開してしまうと自由なことを言えなくなってしまうので、記録はするが非公開としたため、この詳細が明らかになったのは、最後の会合から十数年後の今日だったわけです)。

<合理ではなく「空気」を読んだエリートたち>
 開戦の決断、特攻隊攻撃の立案と実行など、重大な決定の局面において、相当多くのエリートたちが「これは誤りだと思っていたが、それを公然と声に出して言うことができなかった」と告白しています。その中でも、非常に印象に残った言葉が、「あの時、強大なアメリカを相手に一戦打って出るということは、もはやあの状況ではあれは世界の大勢だったとしか言えません」というものです。「世界の大勢」という言葉で最初に思い浮かぶのは、言うまでもなく昭和天皇の玉音放送で使われた「朕深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み」という、例のあの冒頭部分です。世界の大勢とは、世界の「おおよその形勢」のことですが、そもそもここで使われる「世界」というのが、一体どれだけの概念的、観念的、あるいは空間的な幅を持った「世界」だったのかは、あれほど優秀だった人々の言葉からは全く推論できません。言いかえれば、「もはやあの状況においては河の流れを止めることができんかったのだ」ぐらいの意味でしょう。ということは、スーパー・エリートたちにとって、資源・工業大国のアメリカと対等に戦争をする国力が日本にはないのだという「事実」認識は、開戦という「判断」に何ら影響を与えることもなく、開戦という決断に影響を与えたモーメントは「もはやそういう形勢が作られていたのであって、それに逆行するような議論をする流れではなかった」という、「流れ」にあったということを意味します。この「流れ」は言いかえれば、「空気」と言ってもいいでしょう。ということは、「アメリカと戦争をするなどという判断は狂気の沙汰とした言いようがない。みなさん、冷静になってもう一度考えてください。開戦となれば、数百万の戦闘員と非戦闘員の生命財産や人生を台無しにすることになりかねない、とてつもなく重い決定です。そのようなことを『そういう空気だから』などという曖昧な理由で決定できるのですか?」と、横並び、あるいは縦の関係において問いただすことすら「KYである」というのが、当時のスーパー・エリートたちの間にあった空気だということです。
 なんたることでしょう。幾千万もの「ことば」を通じて、知識や教養、豊饒なる旧制中・高等学校の教育を受けて、人もうらやむ社会的立場を持った、国と人々の人生と運命を預かったエリートが「空気を読んで」開戦の流れに身を委ねたというのです。「世界の大勢」という言葉の意味内容すら、ここまで曖昧にして、この流れに乗るとどこに行きつくのかを相当に正確に推論することも予想することも可能であった頭脳を持ちながら、300万人を死なせるような決断を「流れとしてそれに抵抗できなった」という理由でしたというのです。
 開戦に至った詳細な経緯をここで検証する余裕はありませんし、それに関しては優れた研究者がなお今日においても懸命に検証作業を続行中ですから、あまり深く足を突っ込みませんが、開戦直前の海軍の作戦第1課の参謀たちが書き上げたレポートのいい加減さは酷いもので、これを書いた者たちはもしかすると「マッド・サイエンティスト」に近かったかもしれません。「狂った危険な天才たち」は、エリート集団の中には必ず一定の比率で存在しますから(そういう連中を上手にコントロールすることができるということも含めてエリートの能力というものは考えられねばならないのです)、これは1日も早く駆除すべきだったという問題です。
信じられないのは、この作戦一課の「第一委員会」という閉じた世界で書かれたレポートを読んだ、海軍組織ナンバー・ワンの立場にあった永野修身軍令部長がこのレポートを読んで甚く感激し、強大な国力を擁するアメリカとの戦争に危惧していた昭和天皇に「大丈夫です。心配ありません」としゃあしゃあと言ってのけたことです。この第一委員会のレポートを読んだ「兵站・輜重」(物資の供給や補給を担当する部門)関係の元海軍軍令部にいた人々は、「兵器として物の数にも含めることができないようなポンコツや使い物にならない老朽化したものも全部書いてある、まことにいい加減な戦争計画書」と反省会で断罪しています。懸命なる軍令部のエリートたちの中には、永野軍令部長のおかしな発言や行動を訝る合理的な根拠を持った人々が必ずいたはずです。軍隊という縦割りの官僚組織の中で、軍令部総長にものを言える人間は沢山はいません。しかし、真珠湾攻撃の作戦を立てた、かの有名な山本五十六元帥は、アメリカとの開戦については「狂気の沙汰とした言いようがない」と、当初から問題外とみなしていましたし、何と言っても予算が止められれば、つまり巨大な軍艦も航空機もガソリンや重油なしではただの鉄の塊にすぎませんから、当時の財務の責任を担った旧大蔵省が「そんなお金はございません」とひたすら頑張れば、「しばし再考の時間を必要とせん」となったかもしれません。それぞれの立場のエリートたちは、それぞれの場でもう少し何とかできたのではないのかと、今日においても悔やまれます。一体、エリートの賢明さとは何なのでしょうか?日本のエリートとは、マヤカシのエリートだったのでしょうか?

<近代日本のエリートの底の浅さ:一番病>
 評論家の鶴見俊輔は、こういう日本のエリートたちの持つ疾患を「一番病」と言って強く軽蔑します。この病気のモデルは、東京帝国大学を首席で卒業した、自分のお父さんであり、戦前の文筆家であり政治家だった鶴見祐輔さんです(同時に彼は、東京市長、台湾総督府民政長官、満鉄総裁だった後藤新平の娘婿)から、長いお父さんとの付き合いから、そしてそうしたエリート・コースに適応できなかったという意識から、この問題について極めて鋭い観察と認識を与えてくれています。
 鶴見さんに言わせると、一番病とは、近代日本の学校教育において、外からやってきた教科書にもっとも文句を言わず適応し、オウム返しでその内容を暗誦する能力という基準だけで、最も成績が良い者たちのかかる病気です。そして彼らが有能なのは「新しい教科書」の内容をどのようにオウム返しで答えれば、教師が喜ぶだろうかということを誰よりも先回りして認識することができるという点だけです。東京帝国大学というナンバー・ワンの学校の「銀時計組」(一番で卒業する者には「恩賜の銀時計」が与えられたのです。「恩賜」とは「天皇陛下からいただいた」という意味です)が、その典型です。
こういう病気に集団で陥った近代日本のエリートは、「世界の大勢」が変わり、昔とのコンテクストが完全に切断された、まるで違う紙芝居が始まるかのように、これまでと全く違う教科書が入ってくると、かつて教わったことと、その教科書の内容がどれほどつじつまが合わなくても、どれほど矛盾するものであっても、ほとんど精神的に葛藤を起こすことなく、あたかも一瞬のうちに健忘症にかかって、何のストレスもなく新しい教科書に適応できるという、本来なら精神のバランスを崩さなければ到底出来そうもないことを苦もなくやってのける、特殊な能力を持ち合わせています。
東京帝国大学の法学部を一番で卒業した鶴見さんのお父さんは、戦時中は近衛文麿の大政翼賛会に熱狂していましたが、終戦とともに占領軍がやってくるという段になると「自分は英米法専門であったし、英語もしゃべれるから、アメリカ軍のために役に立つ仕事は何かできないだろうか」と、何の心の葛藤もなく言ったそうです。鶴見さんは、そういう無節操で、精神的苦悩もなく、あっという間に「次の教科書(アメリカン・デモクラシー)」の下で優等生になろうとする父親に対して、激しい嫌悪と軽蔑の気持ちを持ったそうです。鶴見さん自身は、病的なほど自分を溺愛した結果自分を縛りつけた母親との葛藤の中で不良乱行の限りを尽くした結果、開戦の数年前にアメリカのハーバードに留学させられながら、日米開戦の際には「日本はアメリカに確実に戦争に負けることはわかっていたが、戦争が終わった時に負けた側にいたかったという理屈抜きの気持ちに従って、帰国船で日本に帰ってきた」という、ある種の「葛藤」を経た人間でした。ですから、破滅的な戦争に進む日本の旗振り役をしておきながら、ひとたびマッカーサーがやってきたら、今度はかつて自分が旗を振ったことなど一瞬のうちに失念して(あるいは「河の水のようにもう流れてしまったことにする」)、次のステージでまた「一番になる」ことに執心するような、人間としての絶望的な無節操と軽さに激しい憤りを持ったのです。
鶴見さんのお父さんのとった態度は、「昨日までの敵にぺこぺこする人間としての卑しさ」という、(それはそれとして大事な問題ですが)一般的道徳の問題ではありません。ポイントはそこにあるのではありません。重要なのは、こうした軌道修正を精神的な苦悩や葛藤を生み出すことなく、すんなりとできてしまう、様々なイデオロギー的な、思想的な衝突をすべて瞬時に「棚上げ」にすることができる、その精神構造は何かを考えることです。

<思想的葛藤>
  思想的葛藤とは何でしょうか?そして、思想的に葛藤することはどういう意味を持つのでしょうか?近代日本を担ったエリートたちの辿った道筋と、そして今もなお責任をになう立場にある多くの政治・経済エリートたちの歩んでいる道を眺めた時、そうした疑問が生じてきます。あの戦争への突入を決意したエリートたちは、大方が「空気」に乗ってしまったのかもしれませんが、曲がりなりにも大変な高等教育を受けてきた人々ですから、アジア・太平洋戦争を戦ったことの意味と正当性について、いくらかでも理屈があったはずです。
 例えば、正しいかどうかは別として、以下のように考えた人も多かったはずです。資本主義の独占化が進んだ20世紀転換以降、先発型資本主義列強の世界市場獲得の圧力は相当に強く、少資源国家日本は後発型の立場において、相当に苦しい立場に追い詰められ、国民に十分な富を配分するためには、絶対量としての生産が追い付かず、新たな開拓地を発展させない限り、じり貧的に追いつめられる一方だったから、国防の観点からも興産の視点からも、アジアにおいて経済的収奪を恒久的に続けようとする欧米諸国に対抗する必要があった。ところが、アジアにおける利権、とりわけ中国における経済的利益を得ようとしていたアメリカは、1930年代から継続的に日本に対して圧力を加えてきて、満州における日本の権益を認めようとせず、ついには経済制裁(粗鉄と石油の禁輸)に打って出てきた。国防も産業も現状を維持するために資源の安定供給を求めて東南アジアへ打って出た日本に対して、今度は在米日本資産凍結を実行し、最後の最後における日米交渉でも、「戦争を誘導する」としか思えない最後通牒を出してきた。欧米の横暴なアジアにおける経済的政治的支配を打破し、アジアにおける真の意味における自立を期して、日本は戦争に踏み切ったのであって、欧米の帝国主義支配を打破するための、新しい歴史を作る戦いだった。したがって、負けたとはいえ、あの戦争の決断は間違っていなかったと。
 戦争に負けることは、「負けた」という事実にすぎませんから(大変な事実ですが)、それはイコール「自分たちの考えてきたことや今なお信じていることは一切無意味になった」ということではありません。白洲次郎が「我々は戦争に負けたが奴隷になったわけではない」と言ったあの意味です。国際社会でそのことがどのように評価されるかは別として、「負けた。しかし、思想的には負けていない。これが正しいと信じる間は、我々が正しいと言い続けるだけだ」という態度をとることは、「内容はともかくとして、信念を持って言い続ける態度はあっぱれである」という評価を受けるはずです。
国際関係というものは、ウェストファリア条約以後、相手国との完全相互理解とヨーロッパの一体化という、「どだい無理なこと」を目指すと最後の一人まで相手を殺すことになりかねないから、そういう夢みたいなことはとりあえず棚上げにして、戦争をすることも含めて、目標を「バランスととること」に限定して、話を整理するためにとりあえず「国」というグループに世界を分類するという「大人の御約束」を前提に成立しています。だから最悪の事態(国と民族の消滅)を避けるためには、バランスをとるために戦争が必要であるという判断も「政治的には」あり得ます。そうしないともっとひどいことになっていたはずだから、ということです。しかし、その判断がどうして出てきたのか、その判断の根拠が、相当な合理性と自らのプライドと御先祖様の(亡くなった諸先輩がたの)遺訓にかけてどれだけ正しいのかは、徹底した言葉と「思想的粘着性」を持って主張し続けなければ、喧嘩相手からもリスペクトを受ける高潔な存在とはなりえません。
もちろんそこに、心が軋むような葛藤があるのは当然です。アジアは遅れていて、脆弱で、最初から不利なゲームのルールを押しつけられ、圧力をかけられているから、とにかく連帯協力して、ともに欧米を上手にコントロールするために「意味不明の王様に支配された博物館ものの未開拓なへんてこな奴ら」と思われないようにしないと共倒れになるぞと、あれほど説いてふせたのに、旧態依然たる体制を少しも変えようとしない清国や事大主義的に毒された朝鮮とともに、それでも半世紀以上をかけて努力し、何とか欧米の植民地となることを回避してきたのだから、我々の役割は大きかったし、そういう歴史の経緯があった以上、いつかは欧米と決定的な対立に直面する日が来るとは思っていたが、何とも政治判断は間違えたし、やはりあれほどの結果を招いてしまったことは悔いても悔い切れない。同じ理想を実現するにしても、我々は決定的にやり方を間違えたのではなかったか。しかし、本当にあれ以外の方法があったのか。アメリカは民主主義をもたらし、小学生並みの日本の教育をするのだと言うが、国内の黒人をいまだに差別しているアメリカに、フィリピンを軍事的に侵略して実質的に植民地としたアメリカに、そして何よりも世界初の核兵器を軍事的な意味ではもはや必要が無かったにもかかわらず日本に使用したアメリカに、正義を説く資格などないではないか・・・。果てしなく葛藤は続きます。
それでも、そうした葛藤を抱えたまま、世界は回り、政治は歩み、日常は続きます。そんな中、そうした葛藤とともに人間はその場で何らかの判断をして、その現実の中で思想的葛藤を繰り返して生きて行く以外にはありません。葛藤することが大したことだという話ではありません。そうした葛藤は、新しい危機に直面した時に有益な教訓や勇気や知恵や力を発揮するために必ず役に立つものです。歴史から学ぶ、失敗から学ぶとはそういうことではないかと思うのです。そのためにも、小心翼々と新しい教科書に飛びつくという、日本のエリートたちの「精神的慣性」は非常に問題を含んでいると言わざるを得ません。
 同じように破滅的な戦争に国民を導き、ニュールンベルグで軍事裁判を受けた元ナチスの大物ゲーリングは、エリートとして明確な目的意識と、「自分が確信をもって正しいと思ってやったことであって、それは今でも正しく間違っていない」と被告席で哄笑したと言います。他方、極東軍事裁判での日本の被告たちは「自分はそのような判断をする立場になかった」、「一介の軍人として上官の命令に従っただけである」、「自分はつまらないひとりの臣下にすぎず自分は天皇陛下があってこそ輝く者である」と、選良としての覚悟もなく全く毅然とした佇まいがありません。丸山眞男という政治学者は、こうした日本の政治エリートたちの精神構造と統治構造を総じて「無責任体制」と評価しました。

<言えない理由:勇気と思想>
 日本のエリートたちは、このように「それはまずいのではないか」と言えませんでした。言えなかった理由は、ここに筆者が書いたこと以外にもたくさんあったかもしれません。日本史の勉強をしていて、「ゼロ戦」のプラモデルを作っていて、父親の本棚にある戦争関係の写真集を見て、「何でこんな馬鹿げた戦争をしたのか」と首をかしげ続けて、もうすぐ40年くらいになりますが、この世界が「善意と合理によって成立しているはずだ」と信じて疑わないほど、本当に狭い世界で生きてきた子供の頃は、この世界には一握りの「極悪人たち」がいて、彼らが悪だくみをしていることで正しい、正直で清い人々が苦しめられていると思っていました。そうではなくて、暗黒のような世界になる過程には、必ずものすごくたくさんの善意にあふれた、「あたしはただのおばさん(おじさん)だから難しいことはわかんないけど」と前置きをしつつ、知らず知らずに悪に手を染める人たちがいて、それも含めて、大人というものはしょうがない生き物だと学んできたわけです。だから、大人の我々は、やっぱり「エリートは信用できない」で人のせいにするのではなく、これは私たちの問題だと考えなければなりません。
 

政治なんて関係ない:4Kの3



※閲覧してくれている学生諸君。いつも「行頭はヒトマス空けろ!」とうるさく言っているのに、このページ空いてねぇじゃんと思ったら、良い子です。ただ、いくらやっても行頭空白が入らないので、言い訳しておきます。通常は、行頭空白だよ。パラグラフ作るときは。

誤解:「政治?関係なくねぇ?俺らに」
回答:「関わらなくても人生に支障がないと確信なさるなら、何もなさらなくても結構ですが、気になられるなら『関係あり』と申し上げましょう」

<どういう風に関係ないのか>
数年前、上半身裸になって、地面を殴るような仕草を繰り返しながら、「っでもそんなの関係ねぇ!っでもそんなの関係ねぇ!」と連呼する芸人が現れた時、その姿をユー・チューブで観て大笑いしてしまいました。自作のギャグ(らしきもの)をリズムにと音楽に合わせてしゃべり、オチはとにかく「っでもそんなの関係ねぇ!」です。可笑しかったのはギャグではなく、その「根拠のない盛り上がり」でした。ちなみに彼の言うフレーズは、翻訳不能です。そのまま直訳風にすれば、”But I don’t care” ぐらいになるのでしょうか?しかしそれでは面白さは伝わりません。
思春期の若者が親に何か言われて、鬱陶しそうに「カンケェねぇし」と言う場合には、むしろ ”Hey! Mom! Let me be alone, please!” (ねぇ、お袋!ちょっとほっといてくんねぇかなぁ?お願いだから)でしょう。それ以外にも、日本語の「関係ない」は、場面や文脈や状況によって様々なニュアンスを表現している言葉です。
政治は関係ないですから。政治なんて関係ないし。政治とか関係しないようにしてますから。これは政治とかそういう類の事とは無関係に申し上げているのですけれども・・・など、政治をめぐる3Kの中でも、幅の広さと奥行きの深さにおいて、この言葉は横綱級です。皆さんは、とりあえず自分は政治とかには関わってないと思っています。
しかし、このように多様な場面で使われる「関係ない」ですから、「どんなふうに関係ないのか」を腑分けしてみることが大切ではないでしょうか。ここで筆者が言いたいのは「関係ありです」ということですから、どういう風に関係あるかを豊かに考えるために、まずは「どういう風に関係ないか」をあれこれと考えてみるとよいのではないかと思います。映画などのシーンで、思いつめた表情の女性が、徐々に涙を溜めて、「あんたなんか関係ないわよ」と捨て台詞を残して喫茶店を後にして出ていく場合など、明らかに「関係大アリよ!」と言っているも同然ですから、私たちと政治の関係もそうした愛憎関係にあるかもしれないでしょう?(まぁ、無いですけどね)

<偉い人たち(エリート)がやっていることだから関係ない>
政治なんて、有名大学出てお金もあって、お父さんとかも政治家で、奥さんなんか「お茶の水」出てるかもしれないし、脱サラして政治家になったとか言ってるけど、結局一流の大企業出身で、とにかくそういう人がする仕事だろうし、政治家になれば権力もあるし、世の中思うがままだろうし、高級官僚なんてほとんど全部東大出身で、天下りして、何とか財団の理事長とかになって、すんごい退職金何度ももらってるんじゃない。要するにさ、政治なんて「上の人」たちがやってんだから、私みたいなどうってことない人間から見れば、雲の上の人の話で、だからそういう人たちがやってること(政治)に私が何か関係があるわけないじゃないですかぁ。まずは、こういう意味の、こういうニュアンスの「関係ない」がありますよね。まとめて言えば、政治はエリートがやるものだという話です。
なるほど、例えば今の政府の内閣のメンバーの出身大学を見ますと、みなさん本当に綺羅星のごとき有名大学を出ていらっしゃいます。昔は、高卒や中卒の大臣や政治家なんかも良く見出せたのですが(故田中角栄元首相は尋常高等小学校しか出ていませんでした。だからその驚異の出世人生をなぞらえて、国民は「今太閤」と呼んで持て囃しました)、そういう場合の多くは、クラスでもだれよりも優秀だったが、貧困ゆえに上級学校には行けずに働きに出て、そこで労働運動というステージを得て、能力を発揮して、組合の幹部となって「社会党参議院議員」になるようなパターンでした。つまり貧乏でさえなければ、立派な大学を出て偉くなったはずの人ばかりでした。今日、豊かな戦後の恩恵によって、しっかりとよい大学に行かせてもらった人たちが、政治家のリストに名を連ねています。
日本の官僚、とりわけ別格扱いとされているキャリア官僚などは、その大半が旧帝国大学系、なかんずく東京大学を出ていますし、建て前上は差別はないなどと言われていますが、やはり地方の国立大学や有名私立大学を出てキャリア組に入っても、局長や事務方トップの事務次官になれる人など、決して多くはありません。政治に関わる有力メンバーである高級官僚は、まさにスーパー・エリートとしか言いようがない立場です。多くの平凡を旨として人生を送ってきた人々からすれば、当然政治なんて自分とは無縁の人たちがやってる、私とは無縁のものだと考えてしまうのも無理はありません。つまり、政治なんて「特殊なエリート」がやることだから「関係ない」ということです。

<自分は敢えて近づかないから「関係ない」>
自分は、政治とか政党とか、そういう「色つき」のものには巻きこまれたくないし、そういう特別な活動などにも手を染めてはならないと思っているから、敢えて距離を置いている。つまり、自分から関係を断っているのだという意味の「関係ない」もあります。
ここでのポイントは、政治という行為や活動を「特殊」なもの、「色つき」のものととらえていることです。この「色つき」というところに、なかなか興味深いものがあります。筆者が昔学生だった頃、ボランティアで一時ある政治家の選挙の手伝いをしていたのですが、ビラを道行く人々に手渡し、投票を呼びかけると、よくそういう反応が返ってきたものです。つまり「何かそういう類の人と思われたくないのでカンベンして」、あるいは「そういう勧誘に乗ると会社での立場が危ういことになるから無視しろと主人に言われてますから…」と目を合わさずに拒絶することです。今は、たかだかチラシくらいで「主人の立場が危うくなる」などと考える人はいませんが、30年近く前はまだそういう人もいました。筆者が関わったその政治家は、当時の野党系の人でしたが、無所属の市民派と自称する人でしたから、見た目もチラシに書いてあることも、さほど「特殊な人々」には見えませんでした。でも、そういう反応でした。
どうやら「政治をやっている人≒宗教団体の人」に近い印象を持っているようです。もちろん公明党への投票を訴えている人たちのほとんどは創価学会の信者ですから、宗教的な信条が大きな力となって、公明党のサポートに貢献していますが、創価学会と公明党は一応別々の組織だと言われていますし、自民党は長年選挙協力をしてきましたから、「公明党=宗教特殊集団」とするのも、公明党が掲げる公約や綱領から見て、決めつけ過ぎの感があります。
日本共産党は、歴史的に「アカ」(党のシンボルの旗が赤かったからです)と蔑称を与えられ、昭和の初めに治安維持法ができてからは、終戦まで極めて過酷な弾圧を受けてきました。戦後は、戦争に一貫して反対する態度を貫いたとして、転向を経験した一部知識人の間では「栄光の共産党」として崇め奉られましたし、その後もレッド・パージでまた落ち込みましたが、1970年代には衆議院に40もの議席を有していたころもありました。今日は、すっかり党勢も衰え、少数政党となり、「宗教的」と言っては失礼ですが(何しろマルクスは「宗教はアヘンである」と言ったのですから)、現在の状況では、それほど強固なる「信条」と「信念」がなければ到底頑張れないほどの苦しい戦いを強いられています。ですから、多くの人から見れば、やはり特殊な人と思われやすいかもしれません。でも共産党の綱領に書いてあることは、名前は「共産」ですが、普通に読めばほぼ「社会民主主義」と表現してよいものですし、原理的には「社会民主主義的な所得の再分配政策」(第一章「景気を良くしなければいけない」の節参照のこと)という意味で自民党が55年体制の下でやってきたことと重なりますから、彼らを昔のように「アカ」呼ばわりするのはもちろん、何か特別なことを主張していると考えるのは、あまり現実的ではありません(もちろん、党内の意思決定プロセスは「民主集中制」という、真に特殊なやり方を採用しています)。
公明党や共産党に対する誤解だけではなく、政治一般に対して、色眼鏡で判断する人もいます。これも昔の話ですが、筆者はあるイシューをめぐって、当時の判断で反対行動をとるため、渋谷を二キロ程度デモすることになりました。筆者にとっては、天気も良かったし、物見遊山気分で当時知り合いだった女友達を誘ってみましたら、「そういうことをする人だったんだ」と言われてしまいました。お父さんが「都立大学の教授」だった娘さんでした。そういうことって?ん?
ケンモホロロに断られたので、また別の女友達を何とか説得して、デモの列に引っ張り込んだのですが、その娘も「まずいよぉ。まずいったらぁ。こういうの。やっぱりまずいよ。ヤバいよ」と、ずっと生きた心地がしないという有様でした。今から思えば、可哀そうなことをしたと思います。マルクスの『共産党宣言』を大学の基礎ゼミのテキストとして買っただけで(誤解しないでください。筆者は1981年に大学に入りましたから、別に全学連でも全共闘でもありません。恥ずかしくて汗が噴き出るほど嫌な、他称『なんとなくクリスタル』世代とされる、その後また勝手に「新人類」と言われた世代です)、「こういう色のついた本を読むのはいかがなものか」と、父親に諭されたという女子学生を強引にデモに誘ったのですから。
冷戦も終焉となった21世紀に、なおも「色つき」などという、自分を何の根拠もなく純白であるとするような「政治的」態度を固持している人は少なくなっているでしょうが、政治は特殊な活動であって、ある種「非日常的」なもので、だからあまり関係を持たないようにしておくにこしたことはないと考えている人は、いまでもたくさんいるでしょう。つまり、「特殊な活動だから」関係ないということです。

<ワカラナイから関係ない(必要ない)>
「政治って、ヨクワカンナイんですよぉっ」と平然と言って、18歳くらいの若者が我が大学の政治学科に入学してきます。18歳という人間というものは、文学部の教員にも入学式の日に「文学ってぇ、ワカラナイんですよぉ」と平気で言え、経済学部の教員に「経済学って何すかぁ?」と、何の躊躇もなく尋ねることができる、暴力的な人達ですから、暴力には暴力で対抗し、「そんなことを何のタメライモなく言ってしまう君たちがワカンナイんですよぉ」と返してやるか、「ワカンナイ?フーン。・・・教えてやんなぁーいっ」とかお茶を濁してもよいのですが(よくやるのが「先生!俺に政治っていうもんを叩きこんでください!」という学生に、喜色満面で「嫌です!」と返してやることです。ああ止められねぇ)、彼らが「わからないので教えてほしい」という基本の謙虚さを見せてくれば、そりゃ仕事ですから「一緒に考えよう」となります。
しかし、この世の中には「ワカラナイことは、スベカラクみなこの世には存在しないことにする」と即断する、最強の人々がいます。本当にそのように信じているのか、そう考えないと「ウザくてやってらんねぇし」なのかは定かではありませんが、とにかく政治を特殊人種のやることとも、特殊な活動とみなすのでもなく、「そんなものワカンナイから、そんなものは存在しないってことで、だから関係ないし」と考え、そんなものなくても生きているし、これまでの人生で特に困ったことも迷惑被ったことも覚えてないから「必要ない」と考えている人たちがたくさんいます。やっぱり最強です。昔、近所のお爺さんに「いやぁ、景気が悪いですねぇ」と御挨拶をしたら、「景気なんてものは無い!」と、驚異のビンボールを投げられてしまいました。じいちゃん。あんたすげぇよ!
ある女子学生があまりに速いスピードで本を読むので、うれしさと驚きのあまり「どうしてそんなに速く本を読めるの?」と尋ねると、「読めない漢字にぶつかったら、こんな文字はこの地上に存在しないと思い込むようにしている」と教えてくれました。たった一撃で教員を即死させることのできる必殺兵器です。ワカラナイものは、この世に存在しないのですから、自分はそんなもの(政治・漢字)に右往左往、右顧左眄しないのです。この学生は(政治学科の学生ではなかったので、少しほっとしましたが)政治なんてなんだかさっぱりワカラナイし、今までそれで困ったことが無いから、政治や政治家には惑わされないし、影響も受けないと思っているはずです。
この世界には、表面的に非常に似通っているように見えて、実は全く別の世界にいる二種類の人間がいます。いずれも「世界について何も知らない」人です。でも決定的に異なるのは、一方の人は「自分は世界について何も知らない」ということを「知っている」人で、「世界には自分の知らないことが存在しているんだ。自分のようなちっぽけな者には与(あずか)り知らぬことが」と考えます。しかし、もう一方の人は「世界において自分の知らないことはあるんだろうけど、知らないことについて考えても時間の無駄なので、知らないことは存在していないということにしている」と考えます。世界について何も知らない点では全く同じなのですが、「知らないこと」とどう付き合っていくかという点において、そこで取る態度は決定的に異なります。後者は、自分が世界をどう考えるかという問題には自分一人で答えを出せるという無根拠な前提を持っています。だから「知っていること」については、「それが現実」と直結判断をします。そして、ワカッテイルことである「現実」は知ってるし、それは私が「そうだと思うこと」を指します。だから、それは反転すると「(政治とかって)ワカンナイんだから無いんだよ」ということであり、だから関係ない(必要ない)のです。

<エリートは特殊な人ではない>
日本の社会では、エリートもエリートという言葉も、残念ながらあまり健全な位置付けがなされていません。自分にしろ他人にしろ突出した存在であることをあまり好まない日本人は、自らエリートであることを誇示しませんし、本当に立派なエリートは謙虚であるものだとされます。しかし、この世の中の運営が、隠然と、そして公然とした構造において、エリートによって担われていることは否定しようもありませんし、それでいてそのことをあまり強く意識してしまうと、非エリートは自分が何だかとてもツマラナイ人間ではないかという、普段はあまり顔をもたげない劣等感が出てきてやり切れなくなりますから、エリートについて考えることは、どうしても地下に潜ってしまいます。つまり、私たちの社会に必要なエリートとはどのような存在かということが開放的に議論されづらくなるのです。エリートを社会がどのように評価するのかという話は、もっぱら公共空間でキャッチボールされず、「密教」や「潜教」のようなものとなってしまうわけです。このことはあまり健全なことではありません。
特に「政治」エリートの話となると、政治におけるリーダーシップに関する社会認識も未成熟なため、情緒的な要素を含んだ、極めて二律背反的な、相矛盾するような評価とならざるをえません。率直に言ってしまえば、一般人にとってエリートとは「自分の能力を鼻にかけた基本的には嫌な奴らだが、困った時には便宜を謀ってもらえる立場だろうから、仲良くしておいたほうが得だし、やっぱ少し羨ましいし、でもやっぱりムカつくから、何かをきっかけに綻びを見せたら、ここぞとばかりにバッシングして、眺めの良い高いところから引きずりおろして、今度はパッシング(シカト)してやると、何だかすっきりするだろう、そんな連中」のことです。普段は面倒だからチヤホヤされ、世間は自分に得になる範囲では大切にしてくれる「ふり」をするけど、ひとたび評判を落とすことがあったら、手のひらを返したように口汚くののしられる、そういう不条理を託(かこ)つ人です(本当に嫌というほど味わいました。これは)。
昨今真に上品な風情を醸し出している週刊誌やタブロイド版夕刊紙は、人々のこうした「いつでも準備OKな感情」を引き出そうと、いったい政治家に何の恨みがあるのかと尋ねたくなるほどの酷いバッシング報道をします。アメリカ発の「ルーピー(痴れ者)」という言葉が出てくると、もう口汚く罵ることのお墨付き許可を得たかのように、一国の首相を平気で「馬鹿」呼ばわりします。こうしたバッシングに共通するのは、いったい何をもってその政治家がこれほど悪く言われるのか、その根拠がさっぱりわからないことです。こんな状況ですから、もはや政治エリートという言葉は蔑称となりつつあるのではないかとすら思えます。
情緒や感情レベルでは、エリートが何やら腹の立つ連中だというのは、職業柄は(意に反して)エリートと呼ばれる筆者にもわからないではありません(筆者は、かつて東京大学を出たある学者から、「君のように少々変わった大学を出ているとわからないと思うがね」と言われたことがあります。「変わった大学」というのは「東京大学以外の大学」という意味だそうです)。でも、大人の政治読本を書いている立場からは、もっとドライでサバサバした感じで、エリートのことを定義する時代ではないかと、賢明なる大人の読者皆さんに呼びかけたいわけです。つまり、もうそういうヤッカミとコンプレックスのチャンプルーみたいなのは止めて、こう考えたらどうですかという提案です。エリートとは次のような人たちです。

 言語能力と情報処理能力と、いくばくかの想像力と、受験勉強という苦行に立ち向かう体力と忍耐力を偶然持ち合わせ、親や周りの関係に蓄積された文化資本があり、能力を伸ばすことを可能にした条件と環境に恵まれ、かつその能力を発揮するステージがたまたま時代においてマッチしたという幸運があったのだから、人生のいくらかの部分を「自分ほどの幸運に恵まれなかった人のために尽くして生きる」ことに充てる義務と責任を持っている人たち。

自分の能力や才能やそれを発揮する機会は、自分ひとりだけで手に入れたわけではありません。当たり前ですが、エリートが存在するためには、膨大な数の非エリートが必要なのです。ですからエリートは、持ちえた能力を世界に返さなければいけないのです。自分の持っている力が、人間の持っている力の一部分を構成するにすぎない以上、このことは道徳的要請ではなく、論理的必然です。こうした互酬性を理解できず、公に尽くす義務と責任に無自覚なエリートは、もはやエリートとは呼べず、それは「勉強の上手な(勉強が「できる」のではありません!)、要領(ただの「段取り」です)の良い馬鹿」です。
こういう人たちは、繰り返し言えば、単体では生まれませんし、再生産もされません。ある程度の文化資本(子供の頃からふんだんに本を買うお金があったり、三年くらい世界を放浪できるお金を「お前のダメさ加減を肉体で知りなさい」という科白とともに御父さんがポンと出してくれたり、食卓で両親が「高浜虚子は正岡子規を超えていない」などという話をしていたりする、要は「無駄なことに回す」資力のこと)に支えられた上で、そこで伸ばした能力を展開する場が必要です。そして、とりわけ政治エリートにおいては、決定的に必要なものがあります。それは、政治的リーダーシップを担う彼らを、きちんとコントロールする第二集団の「フォロワーシップ」です。第一集団としてのエリートたちが、十分に機能しなかったり、誤った判断を下そうとしたり、自分を過信して暴走しそうになった時には、正しくチェックし、注意を促し、時には退場させたりもする、つまり「フォロー」する人達が必要です。そして、政治について、あるいは専門的な政策については、それほど詳しくはわからないし、そんなにいい学校は出ていないけど、自分も社会も政治も、やはりこのままでいいというわけにはいかないと少しでも思っている人は、もはやこのエリートをコントロールするフォロワーの一人です。
エリートは、与えられた能力で義務と責任を果たすべきですが、フォロワーはそうした連中が「何だかムカつく」からではなく、与えられた幸運と能力をこの社会にきちんとお返ししているかどうかに「のみ」関心を持ち、もしそれを十分に果たしていないと判断したら、別のエリートに取り代えればよいのです(選挙!)。政治エリートは、もちろん社会を「リード」しなければなりません。それが義務だからです。しかし、フォロワーは「リードされる」のではありません。リーダーたちと自分たちは「身分」が違うのではなく、社会における「役割」が異なるが原則横並びの関係だと考え、責任を持ってエリートをフォローしなければなりません。もっと言えば、政治エリートを作り、育て、成熟させるためには、三つのものがひつようです。つまり本人たちの人格と歴史の持つ知恵と、横並びのフォロワーのコントロールです。
政治においてはエリートに任せる部分がたくさんありますが、この意味では「お任せ」にしてはいけないのです。そう考えれば、非エリートの人々にとっても、政治は「関係あり」でしょう?エリートがやってるから関係ナイのではなく、エリートがやっているから「関係アリ」なのです。わかりますか?この理屈。

<政治は町会や職場や教室にもある>
政治は特殊活動だから「関係ない」とのことですが、政治は全然特殊な営みではありません。政治「家」、官僚、政党関係者や共産党や創価学会の人たちだけがやるものではありません。政治のもっとも広い意味、「言葉と肉体を行使して自らの目指す状況へと現実を変化させるために他者にはたらきかけること」を念頭に置けば、これに当たる人間の行為は皆政治的行為と言っていいものです。ゼロ歳の赤ん坊が二種類の泣き声を使い分けた時、人生で最初の政治が始まるのです。いつもの泣き声では、母親は自分に優しくしてくれない(ような気がする)ので、もう少し甘えたトーンの泣き声で泣いてみるという工夫は、言葉と肉体を駆使して望ましい現実をもたらそうという政治です。そしてもはや赤ん坊は立派な政治行為者です。
父親と母親の意見の相違を利用しつつ、父親の部が悪い家庭内イシューで強気に出ている母親の尻馬に乗っかって、それでいてかなり好き勝手をやっている母親も上手に脅迫して、女友達との(本当はカレシとの)京都二泊旅行を認めさせるのも、女子高生の「全人生をかけた政治」でしょう。また、拗ねてばかりいても無視されるが、黙ってお手伝いをして、素直にゴメンナサイを言うと母親が父親に内緒でプラモデルを買ってくれることに気が付いて、「したいことだけでなく、する必要のあること」もしないと現実は動かないという政治認識を得ることで、虫より馬鹿な男子も少しだけ大人になります。
そのように考えれば、政治は全くもって日常的なものです。来年の夏祭りは三年に一度の大祭だから、その後に町会の人たちに振る舞う大量のビールを注文しなければならないが、これを何とか「麒麟」に勤めている自分の甥っ子に発注したい。でも町会の役員という立場で直接それをやると、昔からあまり仲のよくない副会長が「面白くねぇな」と言いだすだろう。奴の娘が「サントリー」に勤めてて、てめぇのことは棚に上げて「我田引水」とか言いやがるかもしれねぇ。だからあたかも自分とは無関係な所で、誰か別の筋の奴がそう決めたことにしたいなと。誰を通じて、誰をうまく言いくるめて、どんなことさせるかな。弁当屋の馬鹿にやらせるか、ありゃ小学校の時からトロいんだけど、目標を与えてやると頑張るから良い塩梅かもしんねぇな。それとも、こりゃ正面切って、「ビールは俺が受け持つから、200人分の寿司の折詰はおめぇがやれ」って、副会長と膝詰めの交渉して、「大人の」約束を取り付けたほうが、話は簡単かもしれねぇな。公民館のとなりの『寿司松』は、副会長のコレ(愛人)の弟がやってるから、この作戦なら「ビールの件は口出すんじゃねぇぞ」というメッセージと「俺はおめぇの浮気ぐれぇ承知のしょっちゃんだからよ」という、ダブルメッセージも送ることになって、そうなりゃ奴はもうバタバタしやしねぇよ・・・でもなぁ、もし・・・。ああでも無いこうでも無いと、大人は本当に政治が大好きではないですか?
マンションのオートロックがあると、新聞配達のおにいちゃんが中に入れないので、新聞を一階の郵便ポストまで取りに行かなければならないのがどうにも不便で、寸分に限っては鍵を渡してもいいことにすればと思っても、皆でつくる管理組合で住民の合意を得なければなりません。こちらは、オートロックそのものを「洒落臭せぇ」と思う、開けっぴろげな下町育ちですから、「いいじゃねぇの。新聞屋くれぇ」と思いますが、女性はセキュリティに非常にナーヴァスですし、不審者が出入りしない安全なマンションだから高いローンを払って住んでいると言われますと、そりゃそうだとなるわけで、おいそれとは簡単に判断はできません。
でもどうしてもエレベーターを降りて、入口ポストまで新聞を取りに行くのが面倒でやってられないと思ったら、言葉と行動で懸命に説得し、賛同するモノグサな人々を結集し、様々なアイデアで安心感を持たせ、何とか望ましい現実(新聞は例外とするルールを作る)へと向けて努力すればよいのです。もちろんその際には、「あたしが下まで行くのが面倒だからだよ」と、そのまんま言ってしまうのは子供の作法です。大人は「こうしたほうが皆さんが幸福になれると思うのです」と言わねばなりません。「本音はともかく、理屈はつけねぇといけねぇ」からです。
来年度の補正予算の中に、財務省原案でカットされた自分の選挙区にある道路整備計画費を何とか復活させるために、主計局の官僚や党の政調会長や財務大臣と折衝を繰り返し、「地域経済のカンフル剤としての国民体育大会開催を目前に控え、いま一歩の社会資本整備が不可欠」という理屈をつけて、最後は「この予算付けてくれないなら、次の選挙はあたしと心中してもらいますよ、幹事長!」などと、捨て身の大博打を打つ政治家と、やっていることは基本的に全く変わりません。なにしろ、言葉と肉体で望ましい現実を作りだすのですから(肉体と言えば、選挙の際に候補者が両手で握手をしてくれますが、人によってはあの肉体駆使行動が効いて、何か「グッとくる」気持ちになったりします。不思議なものです)。
ただし、こうなるためには一つ欠くことができない条件があります。それは、言葉を動員するとか肉体を駆使するなどということを、そんな面倒くさくて疲れて厄介なことを、そんなことしなくてもゴロゴロしながらテレビでも観ていればいいものを、わざわざ「やらずにいられない」という気にさせる「切実さ」です。止むに止まれず、それ以外には致し方なく、そうまでしてもどうしても願いに沿う現実や状況を手に入れたい時には、人間は病気を押してでも、孤立してでも、友達を失っても、やります。多くの人々は政治家を汚いとか、悪い奴らだとか(本当の悪党も間違いなくいます)、利権に汲汲としていると訝りますが、筆者の様なレイジーな人間には、あのエネルギーと行動力と心と体のスタミナに、まずは驚愕してしまいます。学部長選挙の前の晩に「いやぁ、電話が10本もかかって来て参ったよ」と笑う同僚の話に「やれやれ(誰だよ。ちょろちょろしてやがる馬鹿は)」と溜息をつく以前に、「よくやるよなぁ。そんなカッタリィことを」などと呟いてしまいます。よっぽどの切実さなのに違いありません(ちなみに筆者には電話などこれまでただの一本もかかってきたことはありません。何故かしら?)。
ですから、政治は特殊な人々がやる、あまり近づいてはいけないイカガワシイものと思って「関係無いです」と思っている人は、政治を自分でもうすでにやっている、かかわっている、巻き込まれていることに気づかないか、そういう面倒なことを誰かに代わってお願いしているか、どうしても手に入れたい現実など考えたことも望んだことも、切実に願ったことも無い慎ましい人生を送ってこられたのかもしれません。ただそういう自分と政治の間にある関係、事情に頓着無かっただけなのかもしれません。ということは、何かの契機に、ふとした出来事から、そして時代のうねりに押されて、ある日切実な問題が起こって、気付き、悩み、そして止むことの無い憤りや期待や野望に突き動かされて、他者を言葉や肉体で説得しているかもしれません。つまり政治は切実さとともに、人間の半径3メートル内にいつでも現れるということです。その意味で、政治は「あたしに関係アリ」というわけです。

<「これが現実だ」ということにしてしまうもの:政治>
ワカラナイものは無いものだということにしているために、そしてワカルことはわかっている現実だから、ワカラナイことに左右されないで私は生きて行けると考えて、だから「政治なんて関係ない」と思っている最強のみなさんも、いつか「切実なこと」が起き、「何だろ?」と思えば、ワカリタイとなるはずですが、ここでどうにも気になるのは、「現実はワカルから」大丈夫という部分です。どうやら、そういう人々は現実というものは、カメラのファインダーに写った自分が見える世界だと思っているようです。私は、「実際」、「目の前で」、「太ったおばさんが泣きながら走り去って行った」のを「目撃した」のだから、これは現実ですと。あたしは現実をワカッテイルと。
でも、筆者はこう言ってやりたくなります。「あれはコンビニ帰りの、部活で砲丸投げをやっている女子高生がNHKの朝ドラが始まるので急いで帰る途中に目にゴミが入って目を押さえながら走っていただけかもしれないじゃん」と。妄想癖のある友人なら「何を見てるんだよ、岡田よぉ。ありゃ女じゃないよ。長髪で、部屋でゲームばっかやって太ったオタクだよ。奴は花粉症で、眼をシパシパさせながら、信号が赤にならないうちに渡ろうとしてんだよ」というかもしれません。
切りがありませんし、アホらしくなってきたので、先に進みますが、現実というものは実体として存在するものではありません。いくら目の前で起きようが、写真に撮ろうが、手で触れてみようが、それは現実そのものではありません。現実とは、「これが現実だと納得してそう思っていること」、つまりそこそこうなずける、「自分にとって収まりのいい解釈」のことです。ですから正確には「これは現実だ」ではなく、「これが現実だと判断するのが今のところ一番心にストレスが無い解釈だ」です。そして、これに決定的に影響を与えるものが、言うまでも無く「言葉」です。「うちのダンナはメタボで太っている」を現実だと判断するのは、そう判断し、それが現実だと「思う、思いたい」理由があるのです。でも、そんなダンナさんでも、「お宅の御主人は恰幅(かっぷく)がいいですなぁ」と褒められれば、何だか頼りがいがあるような「現実」をゲットできます。ですから、あたしは現実をワカッテイルという人も、ワカッテイルのではなくて、誰かに与えられているかもしれない解釈を、自分の解釈と勘違いして、大丈夫ワカッテルから、政治とかはウザイとしているのかもしれません。

<「郵政民営化しかない」という現実作り:小泉カタコト政治>
数年前に、自民党の総理大臣なのに、「自民党をぶっ壊す」というスタンド・プレーで「郵政民営化に賛成か反対かが、この選挙のすべてなんです!」と、ただひたすらそれだけを絶叫して、落ち目だった自民党に300議席をもたらした人がいました。彼のやった「カタコト政治」は、政治というものが持つ、重要な機能を教えてくれます。この人、小泉元首相は、ある意味で優れた政治家だと言えます。何が優れているかというと、「非効率となった郵便事業を見直し、民業を圧迫していた部分をオープンにして、郵貯300兆円の原資を世界の投資家に開放し、もっと自由に運用させることで経済を活性化させることに成功した」ことではありません。小泉さんの偉かったところは、一時的にでも、「そうするしかないのが今のニッポンの現実なんだ」という、本当はとらえどころの無い現実を「それが現実だということにさせてしまう」ことに成功したことです。小泉さんのやった規制緩和で、超高層ビルが乱立して、シャッター商店街が激増して、日本人の経済格差の拡大が生じたと言われていて、最近はあれは何だったのかとばかりに、衆議院には300を超す民主党議員が犇めいていますが、あの時は多くの有権者が「それがニッポンの現実」と思い込み、そういう現実を受け止めることが広範に生じたのです。要するに、小泉さんは力技で現実を作ったのです。
 政治とは、この世の森羅万象の中で、「これが現実であるということにさせてしまう」、誰かに取って「のみ」望ましい状況であるかもしれない状況を「今更言うまでも無いような前提」にさせてしまう、「力」、「技法」、「可能性」、「能力」、「結果の獲得」といったものすべてのことです。換言すれば、政治とは「現実解釈を独占して、他者の行為を指定すること」です。加えて、 これを最高に上手くやり遂げる方法とは、人々が説得されて、心を動かされて、もしくは「情に絆(ほだ)されて」ある現実解釈を受け入れるのではなく、「これは自分で考えて、自分の頭で判断したことだ」と全員に思ってもらって、気が付いたら、皆が「え?今更何言ってんの?そんなのフツーじゃん」と言うように事態を持って行くやり方です。誰に何されたわけでもなく、「自分で」現実を認識したのだということにして、結果的に自分にとって望ましい現実観と現実感を人々に共有してもらうことに成功すると、政治はもはや「え?政治?政治なんてこの間出てきたっけ?」などということになります。そして「政治なんてナカッタし、ワカラナイから無いと同じだから、そしてワカルことは現実でそれは自分で判断するんだから、政治なんかあたしに関係ナイし、必要も無くなぁい?」となり、政治など無かったことが確認され、誰かが美味しい現実をゲットして、ニンマリしていることになるというわけです。こうなればシメタものです。
人間は、いくら威勢のいいことを言って、自分は人の言いなりになんてならないと思っていても、「何をおっしゃいます?今や自民でも民主でもない『みんな』に期待するのが最も現実的でしょう?まだ民主党とか言っているのですか?」なんて言われると、「そそそうなのか?それが今や現実なのか?」と少々不安になり、帰りの電車の中吊り広告で「連立?顔を洗って出直せ!渡辺喜美が吼える!」なんて言う見出しを見ると、もう翌日には会社の同僚に「結局さぁ、もはや第三局をどう構築するかが日本の政治の現実なわけさ」などとしたり顔で言い、少し驚かれたりします。そうなったらもう仕上げは、夜九時のあまりきちんとした言葉で政治を語ることを忘れてしまったニュース番組のVTRで、ベッカムヘアーの渡辺さんの「ちょっと癒される栃木弁」混じりのインタビューを観ることで、彼の現実は「主体的」に構成されることになります。真面目な人ほど、こういうことに足をすくわれるのかもしれません。「○○が現実ですから、△△が必要ですよね」という式があり、最大の難関である○○の部分を受け入れてもらえれば、△△はもう比較的簡単に納得してもらえます。政治のカラクリの一つは、こうした「当たり前でも無かったことを与え前のことにさせる」しかけです。こういう意味で、私たちは政治に関係「あり」ですし、気をつけないと、そして幼児言葉(「ウザい」、「ヤバい」、「チョーハンパナイ」等と行った、日本人を幼児に戻す危険な言葉。拙著『おしゃべりのチカラ~豊かな言葉がつくるニッポンの未来~』、亜紀書房、2010年を参照のこと)でしゃべる癖を早急に修正しないと、「関係ないし」と言いながら、知らず知らずのうちに誰かに利用されることになります。というか、残念ですが、もうとっくに、すっかり、利用されていることすら知らないまま、利用されています。

<やったらやり返せばよい:現実解釈合戦としての政治>
そんなこと言われても、もうそんなカラクリからは逃れられないし、そんな巧妙な手口に対抗するなんて無理だと思われた皆さんは、狼狽の余り、ひとつものすごく簡単かつ大切なことを忘れてしまっています。え?郵政民営化をしないと日本の未来は無いですよと言われた時は、本当にそれが日本の現実だと信じたし、あの時はそう思ったんですって?で、今はどう考えます?ほぉ、やっぱり民間活力を伸ばすって言っても、それは優勝劣敗の話となって、経済格差がひどくなって、公正な競争どころか、最初っから何もかもあきらめる人が増えて、何だか日本人が二つに分かれてしまったような気がしますって?それで?結局、市場に任せるとか民営化が良いって言ってたけど、地方経済がダメになって、雇用とかもダメで、学生が就職できなくて心が荒んできて、自殺者が3万人もいるのが…。いるのが?それが…。それが?現実じゃないですかぁ。だから?…だから。うん?だから?え?…今度はこっちが、貴方が「それが現実だろうが!この腐れネオ・コンが!」って言えばいいのですよ。誰に?政治家やマス・メディアや、ネットのブロガーや、友達や、会社の上司や、近所のおばさんや、おとっつぁんやおっかさんや、おじぃやおばぁに。そして貴方が思う「現実」、貴方がこうなったらいいよなぁと描く「現実」、そして「このままだとまずいよ」と描く暗黒(最低の現実)を共有してくれる言葉と行動を持った人々に、あるいはそれに「近い」人に、肉体を使って説得したり投票したりして、言葉で応援すればいいのではないですか?こっちも、現実の解釈を上手くやって、「それが現実」ということにしてしまえばいいのではないですか?

というわけで、長くなりましたが、政治「なんて」関係アリというわけです。