2011年4月21日木曜日

サヨク≠左翼: よくわからないのに使っている言葉

反原発ってサヨクってじゃねぇ? ~ちげぇよ~

誤解:サヨクって、日本人と国を否定的にとらえる自虐的人間ですよね。いつも徒党を組んで卑怯な事をするし、策略と謀略をたくらむキモい連中ですよ。
回答:左翼的人間とは、人間の理性を信じる楽観的進歩主義者であり、かつ急激な世界変革を求めるため、ある程度の自由の制限は仕方がないと考える人たちです。今は少数派になりましたが、彼らが残した宿題は未解決です。その宿題を考えるためには「サヨク」という幼児語は何の役にも立ちません。

<「主義者」としての左翼>
 今日、「サヨク」とカタカナ表記にされるこの言葉に含まれる意味に、ポジティブな意味は何もありません。これはひたすら「ある連中」を指す蔑称です。そもそも「サヨク」と言挙げされるということ自体が、この言葉の置かれている100年を超える歴史的立場を表現しているともいえるでしょう。明治近代国家においては、「真・善・美」といった人間の内面的価値が個人の良心を媒介されるのではなく、国家そのものに体現され、その解釈が独占されました。ですから、日本では自分がどのような理念や理想を信じるのかという、その信念の内容ではなく、倫理的実体としての国家の謳う価値以外の特別な信条を持つこと自体が、自動的に政治的逸脱とされてしまいました。そういう逸脱者は、「主義者」と呼ばれ、そう呼ばれるだけですでに「普通の人間ではない」とされました。
 宗教を通じて内面世界が人工物としての国家とは別の領域を確保されてこそ、信教や思想や言論の自由が担保されますから、あらゆる「内面価値」が「お国」のそれと重なっていなければ、それを異端として扱うという精神態度が人々の間に一般的となったのです。こうした「普通の人間は特別な思想などにはコミットしないものだ」という恐ろしく政治的なメンタリティーが、現在も形を変えてあることが、「サヨク」という言葉の持つ、古から続く陰鬱としたニュアンスのひとつの原因でもあります。
  他方、左翼の理念や信念の内容にコミットした側からすれば、かつて「左翼」とは、あえてわざわざ自称する必要もないものでした。逆に他称する場合も、この言葉は唯一左翼政治キャンプと激しく政治的に対立する立場の者達のみが、自己を間接的に表現するために使用した言葉でした。自分の立場は、「反左翼」であるという表現によって、その独自性が保障されたのです。つまり、自分が「保守反動」である時のみ、皮肉にも相手を左翼と他称したのでした。左翼自身が表現としてこの言葉をあえて必要としないというのは、左翼であるという自己規定が、この世を「世界史」というものの中に位置づけ、世界をトータルに評価し批判する視点を持った人間、すなわち「社会科学的人間」をわざわざ「人間である」と表現するに等しいほど、自明の修飾語であったという意味です。まっとうに世界と人間を考えて生きている人間は、そもそも左翼でしかあり得ないのであって、人間のことを「肺呼吸をする人間」といちいち表現しないのと同じということです。左翼とは、そのような20世紀のインテリゲンチャ(知識人)の自己規定だったのです。世界の矛盾と歴史の必然を考え理解した人間は、マルクス主義的社会分析と同義である社会科学を「学ぶ」のみならず、同時にこの矛盾に満ちた世界を「社会科学的に生きる」以外、知的であらんとする人生はありえないというのが、左翼の共通認識でした。
 
<社会経済的次元の希薄化>
資本主義が人間の生産関係における矛盾を最も先鋭に表現するのは、資本主義が最も発展した所であり、そこにおいて最も高まった矛盾が、プロレタリアート革命に結びつき、それは世界史の車輪をまた一つガクンと進めるのだという、マルクスの史的観測は、20世紀の初めにはほとんど外れてしまいました。なぜならば、ブルジョアジーもプロレタリアートも極少数しかいなかった、ほとんどが兵士と農民ばかりだったロシアで革命らしきものが勃発してしまったからです。それ以来、誕生したソ連は幼き革命国家を干渉から守り、社会主義化と近代化を同時に成し遂げんと、相当な無理をして、結果的に暗黒のスターリニズムを招き、以後は「収容所国家」として東側国家を束ねてアメリカに対抗しましたが、経済的な破綻を契機に、その歴史的役割を終えました。
独裁者の死後、スターリニズムという世界史の野蛮が明らかになった1950年半ば以降、すでに左翼キャンプ内では、とりわけ青年層にマルクス主義に対する地割れのような幻滅が広がりつつありましたが、20世紀末において、実体としての社会主義諸国が崩壊したことを受けて、「左翼」という言葉も「歴史を語るべき言葉」というコンテクストを脱し、今やある種の精神的病弊を表現する言葉であるかのように、特殊な位置づけがなされてしまっています。言い換えますと、もはや左翼というものの評価は、「主義者」だから排除するという稚拙な態度は論外であるにしても、その基幹部分を構成する価値観すら、もはや評価の対象とされないようになってしまっているということです。つまり、今日左翼がカタカナで表記される特殊な連中として蔑まれ、一部の人によって蛇蝎のごとく嫌悪される最大の理由は、サヨクが「社会主義的」であるからではないのです。ここに20世紀という時間を経た後の、言葉の齟齬が横たわっています。
かつて「社会主義的であること」がどうして批判と攻撃を受けてきたかと言えば、それは人間が生産する財をどう分配するかという、そのやり方において、現行の既得権益を保持する階級が平等な分配方式への移行を拒んだからです。これは「分け前が減る」という素朴な損得勘定のみに支えられたものではなく、歴史的コンテクストや人間の多様なあり方を全部リセットして、合理のかけ声の下に財の配分を強引に行う「革命」に対する、文化や文明論に依拠した異論も含まれていました(まさにそういうものを「イデオロギー」としてマルクスは非難したのですが)。つまり銭金の問題のみならず、そんなに急激に世の中を変えることを死者の声の積み重ねとしての伝統や慣習や文化が許容しないという思想的批判です。
しかし、社会主義のサイドからすれば、階級的抑圧は今を生きる人間にとっての問題でしかあり得ないのだから、そして財を生みだす手段が私的にそれを所有する人間によって独占されているのだから、そこから変えねばならないとしか言えません。元々社会主義(socialism)の「社会(social)」とは、生産手段を「社会が共有する」という所に力点が置かれていたことを表します。それを基本に人間が生産をすれば、まさに額に汗するものが自らの生活と実感と計画に基づいて富の分配がなされるのだから、財の分配は平等へと向かうのだと想定されていました。このように社会主義的であるとは、富の平等な分配ということを中心的価値とするものだったのです。
今日、サヨクとレッテル貼りをする者たちの念頭には、こうした社会主義に内在する社会経済的次元における、あるいはそれを支える思想的次元に棹を差す発想はほとんどありません。というよりも、むしろ依然としてそこに依拠して、粘り強く批判をし続けている言論人は、決して「サヨク」などとカタカナ表記を使いませんし、マルクスのマの字も知らずに左翼を政治批判するような低レベルな手合とは政治的にも知的にも連帯するつもりはないようです。まっとうな保守主義者にとって、左翼を「サヨク」と表記する者たちの存在は、迷惑以外の何ものでもありません。
 
<「サヨク」=陰謀と謀略のキャンプ>
このように、今日におけるサヨク批判の基調トーンには、社会経済的問題に依拠したものはほとんど見られません。サヨク批判の中心は、そうした古典的な価値対立ではなく、むしろサヨクの持つ(とされている)過度なまでの政治主義、そして人間不在の組織至上主義にその力点があるでしょう。これは時として、「サヨクの陰謀」、「サヨクの策略」、あるいは「サヨクによる歴史の捏造」という言い回しをされることで、サヨクの考えている理念ではなく、汚く恐ろしい彼らのやり口に強調点が置かれていることを示しています。
政治主義とは何かと言えば、それは「すべての政治的な事象を党派的対立の図式の中で考え、判断する思考方法」のことです。例えば、共産党の政治的闘争にとって(共産党にとっては「革命未だならず」という永久革命的ミッションを持ち続ける以上、朝起きて歯を磨く行為すら「独占資本によって作られた歯磨きチューブを購入せざるを得ない矛盾との階級的闘争」です)、何がどれだけ闘争の勝利に寄与し貢献するのかが、すべての判断と決断の基準です。すべての考え、すべての行動は、党の政治的勝利にどれだけ貢献するかによって判断されるという考えです。そこでは、党派やイデオロギーの桎梏から解き放たれた等身大の人間の気持ちのような「階級意識として未だ低い段階にあるもの」などは一顧だにされることはありません。そうした精神は、革命的人生を送るために必要な「強い気持ち」を未だに獲得できていない、弱い精神なのであって、当然克服されるものであっても決して褒められたものではないのです。そんな「気持ち」に右顧左眄するのは、充分に階級意識が鍛錬されていないのであって、行く行くはプチブル的日和見態度へと転化し、必ずや反動の嵐に直面して栄光の革命を裏切ることになるだろうとされてしまうわけです。
 今日サヨク批判がなされる際には、この非人間性に対する非難を軸に展開されます。こうした党派至上主義、政治主義は、人間の解放を声高に叫びつつも、いつの間にか「本当は何を守るのか」という基本が逆転してしまい、様々な市民的自由(言論やその他の基本的人権)を抑圧するものとなります。真の革命を目指す集団にとって、基本的な価値は議論の余地なく「プロレタリアートの解放」ですから、そうした基本価値と対立する党派は、すべて「反革命勢力」であって、そうした資本主義のスパイ達は排除せねばなりませんから、共産党が支配する世界は原理的に複数の政党が存在する根拠がないのです。したがって、「一般意思」としての革命の大義は、それに疑念を突き付ける言論をすべて排除することになります。近代社会の基本的価値である自由は「所詮は市民的(ブルジョア的)自由なのであって、そんなものは共産党の政治・組織至上主義と相入れない関係にある」ということになります。
 民族派の政治団体が、政治の現場で共産党系の政治集団と直接対峙したり、ナショナリスト的傾向の強い言論集団が、やはり政治の現場、運動のプロセス、政治活動の一環としての裁判闘争などを通じて「自称人権派」の共産党系司法関係者と衝突したりする時に、こうした政治主義的な共産党のやり方に対する批判は、大きく増幅されます。この時になされるサヨクへの非難は、「所得の再分配」をめぐる経済思想の戦いではありません。ひたすら「あの汚い陰謀と謀略にまみれた全体主義ファシスト」との血で血を洗うバトルになります。
共産党と鋭く対立する保守側も、サヨク人権派が「我々の民族主義的主張を封殺すること」への抗議と「言論の自由」を擁護せよと叫びます。しかし、なにしろ近代的価値のどこまでを容認するかということに関して合意が成立していない保守・民族派・右翼連合ですから、人権や権利章典(Bill of Rights)を声高に訴える段となると、俄然歯切れが悪くなります。それでもサヨクの抑圧的やり方は、英霊に会いに靖國に行く自由の前に立ちはだかるものとされます。サヨクは、口では「人権」などと大声で唱える癖に、そう主張する本当の目的とは自らの党派のための政治的動員と市民を政治的に利用することなのであって、あのような普遍的理念の仮面をかぶり、結局は本当の意味で人間を大切にすることには何の興味もない「政治屋」は絶対に許してはならないと糾弾するのです。昔の左翼は人民の幸福を(間違ったやり方だったが)考えましたが、サヨクはそんなことを最初から考えず、ひたすら政治的、党派的な勝利を求める奴らだということです。
 
<「サヨク=自虐」>
サヨク批判のいまひとつのニュアンスとは、サヨクは自虐的だというものです。言うまでもなく、自虐とは自国の歴史に対する認識が自虐的であるという批判です。左翼は、戦争というものを「本当は階級的利益をめぐって戦わねばならない人々が、軍国主義者に先導された国民国家ごとの争いに巻き込まれて、ただただ死の商人の利益のために利用されている」と分析しますから、あのアジア・太平洋戦争がどのような戦争であったかという歴史解釈の議論になりますと、「軍国主義者と独占資本の連合統治エリートがアジアに対して帝国主義的侵略をなした」という話になります。これはサヨク批判をする者たちからすれば、自国の歴史をひたすら反省し罪悪感を持ってネガティヴに叙述することで、国家の権威と伝統をないがしろにする自虐的な態度です。
奇妙なことは、こうした批判がなされる段になると、批判される対象と蔑称「サヨク」の関係が反転して逆になることです。つまり「サヨクは自虐だ」という強引な決め付けが、今度は順番が変わり「日本の歴史に対して自虐的な歴史観を持つ奴らはサヨクだ」となるのです。この期に及んで、サヨクという言葉は、マルクス主義的含意、つまり近代社会における人間の解放を社会経済諸条件の改革から構想するという理念から完全に逸脱して、言語の意味内容の歪んだインフレーションとともに、ほぼ21世紀における独立言語としての佇まいを獲得することになります。つまり、対米、対中、対韓いずれにおいても、その国際関係を評価する際に、歴史解釈の相対性と自虐的解釈性を持ちこむような、曖昧で妥協的な態度を取るような弱腰な奴らは、あのサヨク連中に洗脳された人間であり、真実の歴史を誰に対しても主張することができない、サヨク的な人間なのだということになるのです。繰り返しますが、これはもはや財の平等な分配や貧困の構造的解体を主張する「左翼」の持った社会経済的イデオロギーとは無縁の「政治的デマゴギー」と言わざるを得ません。
こうした言葉使いや政治的に稚拙な言論によって、保守派の政治キャンプは分裂的状況に陥っています。健全なるナショナリズム(そのようなものが存在するかどうかも結論が出ていませんが)を真剣に模索し、自国の歴史への敬意を維持しつつ、同時にあの15年戦争の「政治的な失敗」を合理的に顧みて、同じ過ちを繰り返さないためにも、冷戦構造崩壊後の世界秩序を冷静に構想しようとしている、良識的な保守派は、このままでは「サヨク=自虐」という大雑把な言説を撒き散らす人々との政治的連帯を断念せざるを得ないでしょう。

<進歩という信仰>
 保守の連帯(連帯する必要もないくらい「革新」はもはや消滅寸前だが)を不可能にする、このような反自虐陣営の大雑把な言葉の使い方とは別に、もし左翼をその政治主義や党派主義といった意味での政治的性格以外の次元で批判的に性格付けをするならば、それは18世紀のイギリスの政治家エドモンド・バークがフランス革命を痛罵した際の論理が参考となるでしょう。その批判対象とは、左翼的な政治経済思想が抱える、現実を細かく観察した結果導き出された社会構想と言うよりも、むしろ演繹的理論の信仰とでも呼ぶべき、つまりある無謬の原理原則から発して、そのあまり当てにならない理論的必然という論理に乗せられて、未来の予測を立てるやり方から自ずと生まれてくる、歴史における「進歩主義」と、社会変革に関する「急進主義」になります。
 マルクスが唱えた所説の根っこの部分にあるのは、商品と労働の関係理解を通じて深められた資本主義分析というより、その基礎としてある歴史の発展法則です。世界には「世界史」という必然の物語とシナリオが存在していて、かつその物語はヘーゲルが言うような人間の精神の胎動と成長の物語ではなく、人間とモノとの関係を通じてこそ生ずる対立とその発展的昇華の道筋、すなわち史的唯物論です。端的に言えば、人間の生産をめぐる階級的対立があるから、それが言わば世界の歴史発展のエンジンであって、それによって人間は「進歩する」ことになっているという不動の前提が存在します。これは左翼思想・信仰の経典の第一章です。
 ところが、長きにわたる人間の歴史を振り返っても、人間の歴史の総体としての評価は、生産の発展などという人間の持つ能力のある部分のみによってなされるものではありません。人間は精神的にも退化、退歩する可能性を多大に秘めているのですから、例えば産業革命によって、内燃エンジンが創られて、爆発的動力を得たからといって、人間の持つ「社会的」秩序をコントロールする権力とエネルギー、そしてそれを制御するための社会的技法の「成熟」が、経済的生産の発展と連動するなどという理屈は、極めて危うく、あまりに楽観的な、根拠なき妄言です。技術の発展と「社会」の発展が同時進行ではないということは、高度化したテクノロジーが人間のコミュニケーション技法を日に日に稚拙なものとさせているという、今日よく見られる光景を眼に浮かべても、もはや自明の話でしょう。
 資本主義的生産が高度化すればするほど、政治経済的矛盾は高まり、それは新たな進歩した社会ステージを創りだすという進歩に関する楽観主義は、人間と人間社会の成熟と未成熟という議論を「歴史の流れに逆らう反動的封建遺制」という一言で排除してしまいます。バークがフランス革命に対してなした評価は、突き詰めて言えば「人間の道徳的退廃の最たるものとは自らの持つ諸力に対して楽観的に過信することと、死者の残した言葉である伝統を軽視すること」です。この世界はもともと浅はかな生物である人間が考えるほど単純ではなく、かつ世界を急激に変えることはできないと確信する、成熟したイギリスの保守主義者から見た時、「理性」信仰と「神の死」を声高に叫ぶフランス革命の馬鹿騒ぎなど、人間の未熟さを恥じる歴史的「良心」の足元にも及ばないものと考えられていたのです。
 フランス革命から200年以上を経て、今日バークのなした批判は21世紀という文脈の中で、また別に位置づけをしなければなりません。しかし、人間の持つ能力、とりわけここでの文脈で言えば、社会技法としての政治、そして敢えて左翼的な理論構成に乗って言えば、そうした政治の基礎をなす社会経済条件のあり方は、バークの鳴らした警鐘をもはや無意味なものにさせるほど成熟しているわけでもなく、数百年を経て本質的に成長を遂げているかどうかも、あまり安易には評価できないでしょう。あれから人間が賢くなっているのかどうかの評価は、左翼がかつて想定していたよりもずっと困難で、時間を要する作業問題なのです。ここに慎重な態度を取らない時、世界史が証明しているように、巨大な経済的社会的イデオロギー的動員をもたらす「政治」が必然的に抱える負荷は、未成熟な人間の権力技法によって反転して、恐るべき粛清と自由の抑圧を生みだすことになりかねません。そのような負の帰結が生ずる可能性と、保守主義者がいう「死者の声」は、21世紀の今日においても、左翼の担保物件としての「デモクラシー」がどれだけの買値を付けていても、基本的には軽々には無視できない懐疑主義を提供してくれています。

<残されている宿題>
「あの戦争は侵略ではなかった」と公言できない人間はすべて自虐ゆえにサヨクとするなどという、児戯に類するような拙劣な言論がどれだけ一部のキャンプによって支持されようとも、我たちの眼の前には、左翼陣営がその政治的失敗とともに放置した巨大な宿題が残されています。それは今日未だに解決されない「貧困と格差」という問題です。世界における人間の生産とそれによってもたらされた様々な財の分け方があまりに不均等になると、人々はスタートラインの段階からすでに希望を失ってしまい、その後の人生は「約束された苦悩」となってしまいます。それではあまりに最初からやる気をなくす人々だらけの世界になりますから、何とか人々が完全にやる気を失うことがないようなやり方で、そこそこの平等が確保されねばなりません。そして、可能であれば、ささやかな富の享受が尚も生産が継続発展する契機となり続けることができるような経済制度やシステムが必要ですが、我たちは未だにそのようなシステムを構築していません。
財の平等な配分など、甘く切ないユートピアに過ぎないという、お決まりの批判は絶え間なくこれまでもなされ続けてきましたが、ここで筆者が言わんとするのは、ユートピアの完成ということではありません。希望を完全に失ってしまうような社会経済的諸条件とその帰結の下に生きなければならないことが、構造化されてしまって、避けることができないとされている人間の数を、全体として減らしていく手段と方法について、なおも漸進的に考え続けるべきだという、大人しい目標です。キャラクターの脆弱な「反自虐(自称)保守派」の方々が、今や実は政治の支配的な勢力としては風前の灯のようなマイノリティとなってしまった社民党や共産党に対して、破廉恥なる罵声とともにドン・キ・ホーテのごとく戦いを挑む姿は、もしかすると社会的コストとして受け入れ、それを優しく見守らなければならないかもしれません。なぜならば、そうした社会的弱者としての彼らの精神を安定させるための福祉というものが必要だからです。
しかし、そうした新たな「福祉」の問題以前に、未だ克服されていない課題、つまり私たちが「その時代、ある時における実現可能(feasible)で持続可能(sustainable)な平等を志向する社会」をどのように構想していくべきかという問題は決して消滅することはないのです。もし今日において「サヨク」という問題のズレた軽蔑を受けてしまった「左翼」というものが、政治的にはいかに脆弱であろうとも、思想的には粘り強く宿題の意味を考え続けるキャンプとされるならば、私たちは何よりもまずサヨクとされているものの持つ今日的方向付けを、「自虐」などという幼児語を排除しつつ、再定義するべきです。
 再度強調すれば、20世紀初頭に左翼の産み出した歪な政治体制は、その困難な政治的・歴史的諸条件の下で、不幸なことに市民的自由を抑圧し、すべてを党派的図式に還元する悪しき政治主義に陥ることで、21世紀の今日、我々に多大なる教訓を残しました。しかし、そうした左翼が残した、世界史の実験のためになされた多くの政治的敗北と実践的失敗をすべて差し引いても、「活力ある社会をなんとか維持できる程度の平等な財の配分」という、「左翼の」ではなく「私たち」克服すべき課題は残ります。もしそれが最も肝要な問題だという共有された認識があるならば、今日一般化した蔑称としての「サヨク」という言葉は、私たちが格闘しなければならない難題を解決するためには一切何の役にも立ちません。言葉の遊びは、それによってのみ精神が救われる人々に任せておけばよいのですから、サヨク批判をしなくても不安に陥ることのない精神的強者たちは、一刻も早く、この切ないカタカナ語に別れを告げなければいけません。ただしこの話は、言うまでも無く「左翼」という用語を政治的目的を持って復活させるべきかどうかという、これもまた不純かつ下世話な問題とは基本的には何の関係も無いことも付言しておかなければなりません。